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関連記事:「美作国万灯会

2016年7月2日に森忠政公の菩提寺・本源寺さま(岡山県津山市)で開催された万灯会の画像をいただきましたので掲載いたします。
森忠政公ら森一族の墓前にも明かりが灯っていた様子がわかりますね。

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07/03|イベントコメント(0)TOP↑
千利休から森伝兵衛可隆(森蘭丸の長兄)に宛てたと推定される書状の画像です。


「画像提供:東京国立博物館」 http://www.tnm.jp/

「森伝あて」千利休書状 東京国立博物館
(全体)http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0086813
c0086813S.jpg

(本紙) http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0086814
C0086814S.jpg



日付不明 「森伝あて」千利休書状 東京国立博物館所蔵

茶杓貴所之御用を申候間
此者に壱ツ進之候我等
取ておき申候又此きんらんの
袋を慶様へ被参て可被下候
              かしく

「封」森傳公 まいる 机下 宗易




(読み)
茶杓、貴所の御用を申し候間、此(こ)の者に壱(ひと)つ之(これ)を進じ候、我等取りて置き申し候、又、此の金襴の袋を慶様へ参らせられて下さるべく候、かしく
森伝公 まいる 机下 宗易


(意味)
茶杓が必要とのことですので、この者(使者)に持たせ、一つ進上いたします。これは、私の取っておきのものです。また、この金襴の茶入袋を慶様に差し上げてください。



天亀元年に千利休(=宗易)が森傳兵衛可隆(=森傳公)に宛てたとされる手紙です。
森可隆はかねてより利休に茶杓を所望していて、利休よりとっておきの茶杓をもらっていることがわかります。
「かしく」は手紙の末尾に用いる挨拶の語。
「まいる」はここでは航空会社のマイレージプログラムの意味ではなく、上位者に対して、”この手紙をさし上げます”の意で手紙の脇付に用いる語。
また、「机下」は手紙の宛名に書き添えて敬意を表す語です。

なお、『利休の手紙-増補版』小松茂美氏(小学館)の解説によれば、文中の「慶様」からは、堺・禅通寺の宗慶首座(慶蔵主・慶首座)、あるいは堺町衆の奈良屋慶西が連想されるとのことですが…私には彼らと森可隆との関係性がよく判りません。

森可隆(1552-1570)は、元亀元年(1570)に父・可成とともに織田信長の朝倉攻めに従軍して越前の手筒山城攻めで数え十九で命を落とすことになります。その短命さゆえにその記録や生きた証となるものはほとんど残されておらず、そのうえでこの書状は(本当に森可隆宛てだったら)森可隆の人となりを示す貴重なものです。
森家のバイブル『森家先代実録』においては”合戦に朝寝坊した”なんて本人的には言わんで欲しい情報は残されちゃったのですが、一方ではこの書状で伺い知れるように、(本当に森可隆宛てだったら)森可隆兄さんはティーンにして茶人・千利休(当時49歳)と交流する、いわゆる『茶の心を知る人』だったのです。



参考文献:『増補版 利休の手紙』小松茂美 日本アート・センター編集 小学館

06/18|森家コメント(0)TOP↑
今年2016年7月2日(土)に森忠政公の菩提寺であります本源寺(岡山県津山市)で万灯会が催されます。
出雲街道から本源寺さままでの道の両側と御霊屋、裏庭等々にも灯りがつく予定だそうです。

また、後日になりますが、7月7日(木)の森忠政公のご命日には法要も執り行われます。
いただいた情報とチラシ画像とをアップしておきますね。

個人的には”精進カレー”というのがどういうものなのか気になります(容赦なく肉ぬきという事なのでしょうか…(^_^;))。

美作国万灯会
・日時:2016年7月2日(土)18:00-21:00
・会場:本源寺
・拝観料:無料
・献灯料:300円(中学生以上)
・無料演奏会、出店あり

本源寺 特別拝観
・日時:2016年7月1日(金)-7日(木) 10:00-16:00(最終日は午後のみ)

津山藩主 森忠政公 毎歳忌法要
・日時:2016年7月7日(木)10:00-
・会場:本源寺本堂

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05/30|森家コメント(0)TOP↑
『近江輿地誌略(おうみよちしりゃく)』にある森家関係の項目の抜き書きです。

『近江輿地誌略(おうみよちしりゃく)』とは、膳所(ぜぜ)藩士であった寒川辰清が藩主・本多康敏の命をうけて編纂した地誌で、享保19(1733)年に完成したものです。
以下、『近江輿地誌略(おうみよちしりゃく)』より引用。

〔宇佐山城跡〕
宇佐山は錦織村の西にあり。宇佐八幡社あるを以て其號となす。此古城址二町四方許、山上に樓臺等の址顕然たり。土俗云ふ鈴木三左衛門居城の址なりと、臣按ずるに非也、元亀元庚午年五月九日信長暇を義昭に告げ京を出でゝ近江に到り、城を宇佐山に築き森三左衛門可成をして之を守らしむ。浅井長政、朝倉義景等之を攻む。同九月可成戦死の後、其臣武藤五郎右衛門及肥田玄蕃等暫く在城すと雖も戦死して遂に落城せり。 森三左衛門の事跡は坂本来迎寺の條下に記す。
〔森三左衛門墓〕
来迎寺境内にあり。森三左衛門尉源可成の墓なり。法名・心月浄翁居士といふ。嘗て可成、元亀元年九月二十日坂本合戦の時瀬戸在家の邊にて戦死す。来迎寺の住僧眞雄上人遺骸を此寺に瘞む。瀬戸は東南寺の邊をいふ。三左衛門可成は美濃蓮臺の郷士越後守重可が子也。されば朝倉の大勢宇佐山へ攻めかゝる堅田の城より織田九郎信治城主青地駿河守泰資、宇佐山の後詰せんと馳せ向ふ。三左衛門信治を打せてかなはじと打て出で朝倉勢と挑戦、朝倉孫三郎景健、山際より横鎗についてかゝる。浅井石見守・大野木土佐守長濱より渡海し是も横鎗に攻掛りければ、・織田・青地以下、前後の敵に包まる。森三左衛門今は是までと北庄土佐守景行が備へに駈入り、遂に石田十蔵が為に打たる。織田九郎にも大陽寺右馬介景春が陣に駈入り、五十嵐小太郎と指違へて死す。青地駿河守は浅井長政が備への前にて戦死せり。
〔安土古城址〕
安土山に在り。安土山高さ二町許、廻り一里半余、頂上に天守あり、今に其跡石垣等の跡顕然たり。本丸二ノ丸三ノ丸等間数高低詳に知れがたし。家康公及羽柴秀吉・武藤助左衛門・青木加賀右衛門・中條将監・武井肥後・織田信忠・長谷川竹・織田七衛・森蘭丸・福富平左衛門・市橋九郎左門・菅谷九右衛門・堀久太郎等が屋敷跡在り。安土山の内に薬師山・笛吹尾・源左衛門鼻・梅ケ谷・あみが鼻・われ尾・永尾等云ふ処あり。悉く書し難し。抑此城は織田信長下知して惟任五郎左衛門長秀奉行す。
〔桐原郷(きりはら)〕
安養寺村・東村・古川村・森尻村・中小森村・池田村・竹川村、以上七村をいふ。
〔薬師村〕
七里村の東にあり、小口村より六七町北也。昔は薬師寺とて大寺これあり、坊も六坊ありといふ。今僅かに一坊を存す。

以上、引用終了。

管理人の補足です。
〔宇佐山城跡〕宇佐山城は落城していないのに「落城せり。」と書いているし、武藤五郎右衛門や肥田玄蕃らも戦死していないのに「戦死して」しまったことになっているなど、文中には間違いもありますがそのまま書き出してみました。
〔森三左衛門墓〕森可成は比叡辻で戦死していたとされますが、ここでは「瀬戸在家の辺=東南寺あたりで死んでた」とピンポイントで書いていますね。いちおう、比叡辻の道筋にあたりますね。 瀬戸在家の辺り・・という情報は現地の人に伝承の聞き取り調査でもした結果でしょうか?何も書いていないので信憑性はわかりません。(^_^;)謎
〔桐原郷〕〔薬師村〕は森蘭丸の所領の一部です(残りの所領「西山上」と「須恵田」の記述は見つけきれず)ので、ついでに書き出してみました。





05/29|森家コメント(0)TOP↑
Google map 【新・森家史跡めぐり】 県別一覧表

全国の森家史跡を県別にマッピングしています。
(未作成)となっている県も随時公開していきます。
こうして一覧表(このページ下方)にまとめてみると未作成の県ばかりですね。(^_^;)
すでに作成済みでリンクをはっている県についてもまだピンを立てていない史跡が沢山ありますので、それも今後追加していきます。
未作成の県はでき次第このページにリンクをはりますね。
更新状況は「RANMARU!」サイトの更新履歴などでお知らせします。

なお、「RANMARU!」サイト内の森家史跡(文字&画像)の紹介ページはこちらです。
→「森家史跡



Google map 【新・森家史跡めぐり】 県別一覧表
県名をクリックするとGoogle mapが表示されます。

《関東》
栃木県
千葉県
東京都
神奈川県

《中部》
新潟県
福井県
山梨県
長野県
■岐阜県1 兼山
■■ (岐阜県可児市)
岐阜県2 東濃エリア史跡
■■ (多治見市、土岐市、瑞浪市、恵那市、中津川市)
岐阜県3 中濃エリア史跡
■■(美濃加茂市、可児市、関市、美濃市、加茂郡、可児郡、郡上市 )
岐阜県4 岐阜・西濃エリア
■■(岐阜市、羽島市、各務原市、山県市、本巣市、羽島郡、本巣郡)
■■(大垣市、海津市、安八郡、揖斐郡、不破郡、養老郡 )
岐阜県5 飛騨エリア
■■ (飛騨市)
 (おまけ:「多治見」)
静岡県
■愛知県(未作成)
三重県

《近畿》
滋賀県
 (おまけ:姉川古戦場めぐり
京都府1(京都中心部)
京都府2(京都市伏見区、長岡京市、宇治市、亀岡市)
大阪府
■兵庫県(未作成)
 (おまけ:「兵庫Ⅱ」)
和歌山県

《中国》
■岡山県
広島県

《九州》
福岡県
佐賀県
鹿児島県


《海外》
韓国



05/17|森家コメント(0)TOP↑
プロフィール

うきき

Author:うきき
戦国に生きた森一族が大好きです。
いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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