江戸時代後期の絵師・酒井抱一(1761-1829)の描いた『集外三十六歌仙』(姫路市立美術館蔵)の中に「木下長嘯子」が登場します。
木下長嘯子(ちょうしょうし)は北政所の甥にして若桜小浜城主であった木下 勝俊のことで、森蘭丸の姉・うめ(宝泉院)の元夫でもあります。
『集外三十六歌仙』は江戸時代後期の作品なので酒井抱一の想像による絵姿と思われます。
姫路市立美術館サイト内の画像は貼ってはいけないようなのでリンク先だけご紹介します。

姫路市立美術館
http://www.city.himeji.lg.jp/art/index.html

集外三十六歌仙  
http://www.city.himeji.lg.jp/art/digital_museum/kyodo/yukari/hoitsu/shugai.html

集外三十六歌仙 木下長嘯子
http://www.city.himeji.lg.jp/art/digital_museum/kyodo/yukari/hoitsu/shugai/19.html


月思徃事  木下長嘯
「世々の人の月はながめしかたみぞと
おもへばおもへぬるゝ袖かな」


ちなみにこの歌は『森家先代実録 巻第三』でも紹介されています。




京都・圓徳院には木下長嘯子のお墓と木像(木像についての詳細は存じません)があります。
圓徳院さまのサイト内に木下長嘯子像の画像があったのでこちらもリンクを貼っておきますね。

圓徳院サイト
http://www.kodaiji.com/entoku-in/idx.shtml

木下長嘯子とその世界
http://www.kodaiji.com/entoku-in/chosyoshi/#1




07/18|森家コメント(0)TOP↑
『太閤記銘々伝』という1878(明治11)年の書物にちょっといい感じの画風で森家の方々が登場していたのでお話のネタにご紹介します。この挿絵は浮世絵師の歌川芳春によって描かれました。


書籍データ
タイトル:『太閤記銘々伝』
著者:綱島亀吉
イラスト:朝香楼(歌川)芳春
出版年 1878(明治11)年



まずは、森可成父さん。安定感ハンパないです。
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次は森長可アニキ。モテ男の必須アイテム「敵首」持参中。
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森蘭丸2点セット。
光秀のもとどりをムンずとつかみ、鉄線で顔面を打ちすえ中。
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目つきがちょっと怖いけど、お取り込み中(本能寺の変)だから仕方ないよね。
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そして森坊丸(仿丸になってるけど)。気になる髪型。そしてこれは怒っている人の目だ。
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番外編で坂井久蔵。蘭丸の姉・鴻野さまの元フィアンセ。これは敵の頭に刀をぶっ刺してそのまま首を「ブチッ」と引きちぎっているのでしょうか?
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07/10|森家コメント(0)TOP↑
関連記事:「美作国万灯会

2016年7月2日に森忠政公の菩提寺・本源寺さま(岡山県津山市)で開催された万灯会の画像をいただきましたので掲載いたします。
森忠政公ら森一族の墓前にも明かりが灯っていた様子がわかりますね。

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07/03|イベントコメント(0)TOP↑
千利休から森伝兵衛可隆(森蘭丸の長兄)に宛てたと推定される書状の画像です。


「画像提供:東京国立博物館」 http://www.tnm.jp/

「森伝あて」千利休書状 東京国立博物館
(全体)http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0086813
c0086813S.jpg

(本紙) http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0086814
C0086814S.jpg



日付不明 「森伝あて」千利休書状 東京国立博物館所蔵

茶杓貴所之御用を申候間
此者に壱ツ進之候我等
取ておき申候又此きんらんの
袋を慶様へ被参て可被下候
              かしく

「封」森傳公 まいる 机下 宗易




(読み)
茶杓、貴所の御用を申し候間、此(こ)の者に壱(ひと)つ之(これ)を進じ候、我等取りて置き申し候、又、此の金襴の袋を慶様へ参らせられて下さるべく候、かしく
森伝公 まいる 机下 宗易


(意味)
茶杓が必要とのことですので、この者(使者)に持たせ、一つ進上いたします。これは、私の取っておきのものです。また、この金襴の茶入袋を慶様に差し上げてください。



天亀元年に千利休(=宗易)が森傳兵衛可隆(=森傳公)に宛てたとされる手紙です。
森可隆はかねてより利休に茶杓を所望していて、利休よりとっておきの茶杓をもらっていることがわかります。
「かしく」は手紙の末尾に用いる挨拶の語。
「まいる」はここでは航空会社のマイレージプログラムの意味ではなく、上位者に対して、”この手紙をさし上げます”の意で手紙の脇付に用いる語。
また、「机下」は手紙の宛名に書き添えて敬意を表す語です。

なお、『利休の手紙-増補版』小松茂美氏(小学館)の解説によれば、文中の「慶様」からは、堺・禅通寺の宗慶首座(慶蔵主・慶首座)、あるいは堺町衆の奈良屋慶西が連想されるとのことですが…私には彼らと森可隆との関係性がよく判りません。

森可隆(1552-1570)は、元亀元年(1570)に父・可成とともに織田信長の朝倉攻めに従軍して越前の手筒山城攻めで数え十九で命を落とすことになります。その短命さゆえにその記録や生きた証となるものはほとんど残されておらず、そのうえでこの書状は(本当に森可隆宛てだったら)森可隆の人となりを示す貴重なものです。
森家のバイブル『森家先代実録』においては”合戦に朝寝坊した”なんて本人的には言わんで欲しい情報は残されちゃったのですが、一方ではこの書状で伺い知れるように、(本当に森可隆宛てだったら)森可隆兄さんはティーンにして茶人・千利休(当時49歳)と交流する、いわゆる『茶の心を知る人』だったのです。



参考文献:『増補版 利休の手紙』小松茂美 日本アート・センター編集 小学館

06/18|森家コメント(0)TOP↑
今年2016年7月2日(土)に森忠政公の菩提寺であります本源寺(岡山県津山市)で万灯会が催されます。
出雲街道から本源寺さままでの道の両側と御霊屋、裏庭等々にも灯りがつく予定だそうです。

また、後日になりますが、7月7日(木)の森忠政公のご命日には法要も執り行われます。
いただいた情報とチラシ画像とをアップしておきますね。

個人的には”精進カレー”というのがどういうものなのか気になります(容赦なく肉ぬきという事なのでしょうか…(^_^;))。

美作国万灯会
・日時:2016年7月2日(土)18:00-21:00
・会場:本源寺
・拝観料:無料
・献灯料:300円(中学生以上)
・無料演奏会、出店あり

本源寺 特別拝観
・日時:2016年7月1日(金)-7日(木) 10:00-16:00(最終日は午後のみ)

津山藩主 森忠政公 毎歳忌法要
・日時:2016年7月7日(木)10:00-
・会場:本源寺本堂

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05/30|森家コメント(0)TOP↑
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うきき

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戦国に生きた森一族が大好きです。
いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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