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 今回は森一族のメンバーの銅像・石像などを紹介します。
まずは大阪青山歴史文学博物館前(兵庫県川西市長尾町)にある森蘭丸の銅像です。
蘭丸単体ではなく、織田信長と塩川伯耆守の三人が銅像になって並んでいます。塩川氏(または塩河氏)はこの銅像が建つ地元の武将。

以下画像、逆光で写りが悪くてすみません。

20130807e.jpg
塩川伯耆守(左)、織田信長(中央)、森蘭丸(右)。天守閣みたいな建物は大阪青山歴史文学博物館。

20130709b.jpg
背後から撮影。

20130708c.jpg
森蘭丸銅像。

20130807d.jpg

森蘭丸の銅像の顔(画像クリックで拡大)。

 なぜ兵庫県にこの銅像があるのかといえば『信長公記』の以下の記述(銅像の台座にある文章を下に書き出しておきます。)からインスパイアされたもののようです。
織田信長が多田の谷と言われるこの地元で鷹狩りをした時のものからのイメージでしょうか。


『信長公記』関連記事

天正三(1575)年
六月廿七日:御上着 相国寺御寄宿
七月朔日 :塩河伯耆(長満)是は御馬拝領、畿内隣国面々御出仕これあり

天正七(1579)年
三月十四日:多田の谷御鷹つかはされ候、塩河勘十郎、一献進上、其時御道複(道服どうふく)下され頂戴、忝き次第なり
三月晦日 :御鷹野、みのをの滝御見物。其の日十三尾の御鷹少し足を痛め申すの由候
四月十八日:塩河伯耆守へ銀子百枚遣はされ候、御使森乱(蘭丸)中西権兵衛相副へ下さる、過分忝きの由候なり

天正八(1580)年
二月廿七日:山崎に至って御成り
爰にて津田七兵衛信澄・塩河伯耆・惟住五郎左衛門(丹羽長秀)両三人、兵庫はなくま表へ相働き御敵はなくまへ差し向ひ然るべき地を御取出の御要害に仕候て、池田勝三郎父子(信輝・之助・輝政)三人入れ置き其上帰陣仕るべきの旨仰付けられ訖




銅像のある大阪青山歴史文学博物館サイトへのリンクです。


大阪青山歴史文学博物館
http://www1.osaka-aoyama.ac.jp/oa/museum/index.html

トップページ > ご挨拶 > 目的
古代から現代まで歴史に名を残す地に、日本建築の集大成を再現
清和源氏発祥の地・川西は、歴史上の要衝(銅像画像あり)

http://www1.osaka-aoyama.ac.jp/oa/museum/outline/purpose.html
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いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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