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 『JAひがしみの』様サイト内の昔話をリンクさせていただきました。森長可にまつわる昔話です。

どんな場合も、よく確かめもしない早合点はいけないというお話です。



 『ひがしみの昔話』
http://www.ja-higashimino.or.jp/book/index.html

>『坂折峠の早合点〈中津川市蛭川〉
http://www.ja-higashimino.or.jp/book/l_data.html?05-0000=0001&04-0000=0032

 昔話にあるように、「坂折峠」は森長可が苗木城攻めに使ったルートにある峠です。昔は森家の本拠地・金山そばの八百津から苗木城下まで延びる道筋・黒瀬街道があり、その中に坂折峠もありました。

 恵那市教育委員会が2003年に刊行した『黒瀬街道調査報告書』では、森長可の苗木攻めにも触れてくれていて、地図で「坂折峠の待ち伏せ」地点も示してくれています。


google map で森長可暗殺計画「坂折峠の待ち伏せスポット」を探し出しましたが、『黒瀬街道調査報告書』に習えばここみたいです(緑の矢印)。

大きな地図で見る

私もかつてはこの坂折峠を目指したのですが「熊がでたらいけないから。」と、地元の師匠に山中でゆっくりさせてもらえずに、本当に到着地点がその場所だったか確信が持てないまま山を下り、今日にいたります。



以下、『黒瀬街道調査報告書』より引用

坂折峠の待ち伏せ
『 森長可は苗木城を攻めるために、3,000騎の大軍を従えて中野方・蛭川を経て高山村へ出陣した。しかし、付知川の増水と苗木勢の強力な抵抗にあって退陣することになった。この時小池忠兵衛は中野方坂折峠で長可を待ち伏せて鉄砲を撃った。長可は落馬した。小池兄弟は長可を射止めたものと思い引き上げた。しかし長可は敵の襲撃を避けるために馬より降りたのであった。長可は翌年天正11年(1583)岩村城主と手を組んで再び苗木城を襲撃したが、長可軍は法泉寺坂の戦いに敗れた。そして5月再び大軍を率いて、中津川側と高山側からせめて苗木城を落城させた。」 

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いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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