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芳年の絵による『新形三十六怪撰』のうち『蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図』です。戦国時代にはありえないほど動きにくそうな服装で、ありえないリアクションとってます。(^O^)
家紋の鶴をちりばめすぎだし。(^O^)

ともかくも、これは、下記のような逸話を下にして描かれたものでしょう。
拙サイトRANMARU!逸話より引用


堺に妙国寺というお寺にはそれは巨大な蘇鉄があった。この蘇鉄が枯れそうになった時、寺の僧達は手を尽くしたが遂に枯れ果ててしまった。
しかし、高僧たちが法華経を唱えてみたところ、次第に青みを帯び、ついに元のように活き活きとなった。
「これが法華経の功徳」と、この一件はたちまちのうちに噂となり、蘇鉄には参拝客が絶えなかったという。

この摩訶不思議を忌まわしく思った信長は「政治の妨げになる。」と、家来に命じて蘇鉄を引っこ抜いて安土城の庭に移させた。

ある夜更け、信長は庭の方から「妙国寺へ帰ろう。帰ろう。」と声がするのを聴いた。蘭丸を召し出して説明したところ、せっかちな蘭丸は、とっとと明かりを持って縁側に出た。信長も刀を持って後についていった。
再び、「妙国寺へ帰ろう。帰ろう。」と声がたつより早く、蘭丸は、づかづかと庭先に下りて行き、声を頼りに正体を突き止めると、犯人は蘇鉄だった。
蘭丸が「今の声は蘇鉄から出ていました。」と報告すると、信長は大爆笑。
「枯木が蘇った話と言い、これは妖怪のたぐい。明日あの木をことごとく切ってしまおう。」と寝所に戻っていった。蘭丸は次の間で宿直した。
翌日、信長や近習が縁側で見守る中、300人の者が斧を持ってこの蘇鉄を切ろうとした。しかし、なんとしたことか、300人ともが倒れて吐血して悶絶するではないか。

しばらくして信長、「………魏の曹操も梨の木を切ろうとして死んだ。古木の霊を犯すようなマネをしてはならない。」

結局その蘇鉄は元の妙国寺に返品され、あの、信長ですら法力には勝てなかったと、ますます蘇鉄はもてはやされた。




 あれから、数百年。
織田信長も森蘭丸も既にもう遠い時の人とあいなりましたが、蘇鉄のほうは今も大阪府、堺の妙国寺で生きています。
これが、妙国寺の蘇鉄です。(2011年10月29日撮影)
20130205b.jpg

この蘇鉄が今なお口を聞いてくれたなら、あの日の物語も語ってもらえるでしょうけれど。

 妙国寺に立っていた説明看板の内容を以下に引用しておきます。
機会があればぜひ参拝なさって、語りかけてみてください。



国指定天然記念物 妙國寺のソテツ

 ソテツは九州南部から南西諸島に分布する裸子植物で、昔は鉄蕉・鉄蔦と呼ばれていました。妙國寺の蘇鉄は樹齢1,100年と伝えられ江戸時代の名所絵にも数多く描かれるなど古くから堺の名木として知られていました。
その昔、織田信長がこの木を安土城に移植したところ毎夜「堺へ帰ろう」と呻き泣いたため切り刻まれ、この寺に戻された伝説は有名です。その姿を哀れんだ日珖聖人が植え直し、お経を唱えたところ青い芽が出て蘇生したことから、その後よみがえる鉄蕉が蘇鉄とよばれるようになりました。
 近年樹勢の衰えが目立ち始めたため妙國寺のソテツ再生委員会の指導のもと、国などの補助を得て平成20年度から4年間で「天然記念物再生事業」が実施されました。
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