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 去年の10月に名古屋市秀吉清正記念館で開館45周年記念特別陳列「小牧・長久手の戦い」に行ってまいりました。
 その時、森長可遺言状(案)の展示とともに、どなたかの書かれた現代語訳《大意》が掲示されていました。
今まで私自身がしっくりこなかった部分も氷解するような素敵な現代語訳でしたので、書き写してまいりました。
(赤字部分)文中の千丸の説明は(長可の息子)になっていましたが、ご存知の通り(長可の末弟)ですので、私の手でそのように書き改めています。



《大意》
一、「沢姫」という茶壷は、秀吉様へ進上します。ただし、現物は宇治にあります。
一、天目茶碗も、秀吉様へ進上します。茶碗に付けた札にその旨を記してあります。
一、もし私が戦死したなら、以下のようにして下さい。母上は、手当を秀吉様からもらって、京都にお住まいになって下さい。後継の千丸(長可の末弟、のちの忠政、当時十五歳)は、今まで通り、秀吉様のお側に仕えること。
一、秀吉様に、「長可の地位を継ぐことはたいへん困ります。金山城は要衝ですから、もっとしっかりした者を配置なさいませ」と、申し上げなさい。
一、妻たちは、急いで大垣の実家(池田家)へ移りなさい。
一、粗悪な茶道具、刀、脇差は、忠政に与えて下さい。遺品はどれも付けて札に記してある通りの相手に、届けてください。札の付いていないものは、すべて忠政に与えます。ただし、可能な範囲で。以上のように、忠政にお伝えください。

 京都の本阿弥という人のところに、秘蔵の脇差が二点あります。それを忠政に与えますから、尾藤殿に取り寄せてほしいと言いなさい。
おこう(長可の妹か娘)は、京都の町人へ嫁入りさせなさい。相手は医者のような人物がいいいでしょう。
母上は、必ず必ず京都にお住まいになって下さい。忠政が金山(兼山)城の後継ぎになるのは困ります。
 万が一、今回の戦いで大敗した場合は、みな城に火をかけて、死する覚悟でいなさい。



原文も添えておきます。



一、さはひめのつぼ、秀吉様へ進上。但、いまは宇治にあり。

一、だいてんもく、秀吉様へ進上。ふだにあり。

一、もし、うちじに候はゞ、此の分に候。母に候人は、かんにんぶん、秀吉様へ御もらい、京に御いり候
  べく候。せんは、今のごとく、御そばに奉公の事。

一、我々あとめ、くれぐれ、いやにて候。此の城は、要にて候間、たしかなるものを、秀吉様より、
おかせられ候へと、御申すの事。

一、をんなどもは、いそぎ、大がきへ御越し候べく候。


一、あしき茶の湯どうぐ、かたな、わきざし、せんに御とらせ候べく候。いづれもいづれも、ふだの如
  く、御とどけ候べく候。ふだのほかは、みな、せんにとらせ申し候。但し、なり次第

    天正十二 三月廿六日あさ             むさし  
     尾藤甚右衛門此御申候べく候 留申べく候

又、申し候。京の本阿弥ところに、秘蔵のわきざし二つ御いり候。せんに取らせ申し候。尾甚に御申し候べく候。
おこう事、京の町人に御とらせ候べく候。薬師のやうなる人に御しつけ候べく候。母に候人は、かまいてかまいて、
京に御入り候べく候。せん、こゝもとあとつぎ候事、いやにて候。十まんに一つ、百万に一つ、総負けになり候はゞ、
みなみな火をかけ候て、御死に候べく候。おひさにも申し候。以上。
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いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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