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異説 院庄のにらみ合いの松

※ 『津山一口ばなし』(津山郷土館 昭和41年発行 )より引用。



 院庄の田ンボの中にある”睨み合いの松”といえば、津山築城当時にからまる名古屋三左衛門と井戸右衛門との血闘によるものと一応話題となっているが、ここに異説”睨み合いの松”の物語がある。

 古来その地方々々によって特有の行事というものがあり、それが案外村々の持ち続けて来た習慣として、全く大胆にマカリ通るものも珍しくなかった。一例を示せば、旧藩時代までさかのぼる美作地方の農村で、五月の田植えがすむと、その一日を休日として”シロミテ祝い”というのが昔からの定めの行事としてやったものである。このシロミテ祝いの日には、植え残りの苗を村の娘さんたちが、最も交通の繁しい通バタに持ち寄って、折柄通りかかる通行人の誰彼なしに打ちつけて騒ぎまわるのである。

 それで通行人の方が頭を下げて一礼に及ぶと「今年の稲作は穂がしらを下げて豊年満作じゃ」と喜びハシャイだものである。
 時は万治三年五月、津山藩の勇士、不破伴左衛門が作西目木村を通りかかった時、ちょうどこの苗打ちの行事に引っかかって、めちゃめちゃに苗を打たれ泥まみれになってしまった。短気の伴左衛門が持ち前の癇癪玉を破裂させて、矢庭にそこらの娘ら三人を打ち斬ってしまった。

 百姓たちは一途に騒ぎ立てこの趣を藩の役所へ訴へ出た。藩としても、そうした百姓村の習慣を無視して、殺人沙汰に及ぶことは許されぬと、これが討手を名古屋山三郎と高木馬之助に仰せつかった。

 この不破と名古屋と高木とは、同じ藩中の三勇士と呼ばれる程の剛の者であり、また大の仲よしだったので名古屋は独りで考えた。そうして、髙木に知らせぬように、こっそりと事の次第を不破に内通して、その夜のうちに伴左衛門を逃亡させてしまった。

 これを知った高木がカンカンに怒り散らして、山三郎を呼び出し、翌朝”院庄原”でそこに生えていた松の木を引き抜いて血闘の上、そのままそこに投げ棄てたものが根を張って睨み合いの松になったと伝える昔話もある。


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