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前回に引き続き、また阿夫志奈神社(岐阜県加茂郡川辺町上川辺)の話題になります。

→前回ブログ『阿夫志奈神社と森蘭丸と宇宙と

20180603d.jpg
阿夫志奈神社(あぶしなじんじゃ)
この境内の北東には、米田城主・肥田玄蕃の息子である長寿丸の墓があります。
やぶ蚊に刺されつつ、お参りしてまいりました。

20180603c.jpg
肥田長寿丸の墓
言い伝えで、長寿丸の墓とされてきたものです。
側にあった説明看板の内容を下に書きだします。
20180603e.jpg



(説明看板より引用)

肥田玄蕃允の息子 長寿丸の墓

天正十年六月兼山城主森武蔵守は軍勢を率いて福島城に攻め寄せた。その夜福島城では祝事が終わり家中退出した後であった。玄蕃允は敵情を知ると応戦を諦め、二、三人の家来と奥方を連れて天子の渡しまで脱出した。
一方 馬串山城に居た長寿丸は父の居る福島城の異変を聞きつけ、家来を連れて城に駆けつけた。しかし時既に遅く、父玄蕃允は城を落ちのびた後であった。長寿丸は追い来る兼山勢を斬り抜けて、父母の後を追ったが、後から鉄砲で左脇腹を撃ち抜かれた。重傷を負いながらも長寿丸は、天子の渡しで父母に追いつくと、力尽きて息を引取った。主従は嘆き悲しみ「敵に首を渡せば一門の恥」と言うと船番が「ここは天子野と言う所で建仁の昔岐阜に移られた二階堂山城守行政殿の居城跡です。此の尊い土地に葬られたがよいでしょう」と言うので、玄蕃允は涙乍(ながら)に此の地に長寿丸を葬った。
奥方は悲しみと疲労で倒れたが、天王様のお手水を頂いて息を吹き返した。奥方は上川辺にかくまわれている中に乙姫神社を再建し、深く信仰した。
勇気は人に優れ、孝心殊に篤かった長寿丸は此の地に静かに眠っている。
「肥田軍記に依る」 阿夫志奈神社特別調査委員会

(引用終了)


説明にあるとおり、”勇気は人に優れ、孝心殊に篤かった”長寿丸はこの神社の杜の中で静かに眠っているのですが、なぜかその墓の横はオシャレでファンシーなカフェ庭園なのでありました(カフェと神社の間に壁がない不思議空間)。

ときに長寿丸、二十八歳。
長寿じゃないね。
世は無常だね(森長可のせいだけど)。


わが子を失った肥田玄蕃はそのまま近隣の加治田城(親戚がいる)へ逃げ、兵を借りて再び森軍とぶつかり合うのですが、やっぱり玄蕃は森長可の敵ではなく、またしても敗退してしまいます。
調子こいた森軍に郡上八幡城まで追っかけてこられてしまうのは、それはまた別のお話。
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いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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