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妻木氏について詳しくないのでにわか知識で書いております。
何かお気づきの点があればご教示ください。


妻木城主だった妻木氏の事を記録する『妻木戦記』を国立国会図書館のデジタルコレクションで見ることができます。

『妻木戦記』(国立国会図書館デジタルコレクション)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/918604

『妻木戦記』には、かっこよくかつ理不尽に妻木氏を追い詰める森長可の情報も満載なので森家好きにも満足な一冊なのですが、その中にこういうものがございました。


尾州東春日井郡内々津山妙見寺由来書
天正年中兵乱の節濃州土岐郡之城主伝入並(金)山の城主森右近右両人当山に放火し
社寺以下諸証文等炎焼致候、其後太閤秀吉公朝鮮に御出陣之節、妙見菩薩は北辰にて七曜破軍星之上首取七曜を形取り御用之帆柱杉木七本御伐採被為成右の榊木料物金二百両御奉納有と当時の別当右金子を以て只今の本社拝殿等再建仕り由、当寺中之書付に相見申候
右妻木城主妻木伝兵衛子息妻木雅楽助当寺鐘楼堂建立にて棟札左の通り
干時慶長十八年癸丑別当蓮華院慧秀奉新造立鐘楼願主妻木雅楽助源家頼書判
                    藤原朝臣  大工八兵衛


『妻木戦記』より引用



上の内容を短く表現すると
「天正年中の戦乱の時に妻木城主の妻木伝入(貞徳)と金山城主の森右近(忠政)の二人が神社に放火して全焼
その後、朝鮮出兵で豊臣秀吉が軍船の帆柱用に神社の大木を伐採して二百両くれたので、そのお金で本社と拝殿を再建した。
さらに後に妻木伝入の子息の雅楽助が鐘楼堂を建てた。」

ここに出てくる『尾州東春日井郡 内々津山妙見寺』とは、現住所にして春日井市内津町にある内々神社のことで『妙見寺』とは当時、内津神社の境内にあったお寺です(現在は隣接)。
以下、記事中に「内々」「内々津」「内津」という地名が出てきますがすべて「うつつ」という読みで同じ場所のことです。

内々(うつつ)神社 (春日井市サイト)
http://www.city.kasugai.lg.jp/22498/kanko/464/utsutsuj.html



さらに知人が内々神社に参拝して写真を撮ってきてくれました。

ututu1.jpg

ututu2.jpg

ututu3.jpg

内々神社に隣接する「内津妙見」です。もとは内々神社の境内にありました。
ututu4.jpg

ututu5.jpg


本能寺の変の後、妻木城主の妻木頼忠(伝入の嫡男、=雅楽助、家頼)は森長可に反旗を翻したものの、力及ばず森長可の傘下に入り、身内は森家の居城である金山城の城下に住まわせられました。

天正12(1584)年の小牧長久手の合戦において妻木氏は(イヤイヤ)森長可に従って内津峠(愛知県春日井市と岐阜県多治見市を結ぶ峠)に布陣していたそうです。この合戦において森長可は、豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉ですが)方であり、徳川家康とは敵になっております。

で、『妻木戦記』を読むと、内々津に陣を置く妻木軍(妻木頼忠軍)は森長可の戦死を知るや否や徳川家康に応じ、逃げ来る豊臣方の敗走兵を迎え撃っているようなのです…そしてその時に内々津の陣に向かってきた兵と妻木軍が乱闘になり、妻木氏は町家に火をかけて敵を討っているように思えるのですが…(私の解読ミスでしょうか?)
ともかくも、そんな状況になーんで森忠政が登場できるのでしょうか?
森忠政は当時、恐らくは秀吉の側に仕えていたのではないかと思います。人質的な意味でも。
この合戦中に妻木氏と行動を共にしていたなんてありえないと思うのですが。

そもそも、この『妻木戦記』では長久手の合戦で生き延びたはずの三好秀次(「三好源七郎」と書いてあるのはたぶん三好孫七郎秀次のこと)と堀久太郎(堀Q)も討死したことになっているのであります。
内々神社を妻木氏が焼いちゃったあたりはわざわざ嘘を書くとも思えないけども、その内容のどこまでを信じていいのか。

引き続き『妻木戦記』を読むと、妻木伝入(放火した人)は先に妙見宮に祈って
『勝たせてくれたら自分の領地に大社を建ててお祀りします』
との旨を祈祷しています。
でも、結局はその妙見宮をも燃やしちゃったのね…合戦って難しいね。
なお、この約束により、天正17(1589)年に伝入の子の頼忠(家頼)が妻木の地に妙見宮を勧進して分社を祀り、内々津の地から杉を一本移して手植えにしたそうです。

これが妻木妙見宮の所以なり。(キリッ!)』(『妻木戦記』)

だ、そうですが、森忠政がなぜ長久手の合戦の時になんで妻木氏と一緒になって寺社を焼いちゃってんだ、というミステリーはおいてけぼりです。

なお、妻木妙見宮(現・春日神社)については、土岐市サイト内にあった記事が詳しくて理解しやすかったのでURLを貼らせていただきます。
『しろやま公民館だより』 郷土資料室のページ 80上郷の春日神社 その1
http://www.city.toki.lg.jp/fs/14262/h24-10-15-pdf.pdf


そして、この記事はなぜか後半に続く(いや、単に長くなっちゃったので分割します)。

なぜか忠政が放火犯になってる件 2

別の資料はないものかと春日井市に相談してみたところ、
『妙見宮由緒書(密蔵院蔵)』
という文献をご教示くださいました!
そこにはなんと、やっぱり放火魔として森忠政の名が!
後半はそのお話です。




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