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福岡黒田藩士 森成正-森勝右衛門

天正十三乙酉年、美作国津山ニ而出生
慶長年中筑前国君長政公ヨリ父可政方御契約有シ其御書簡曰、
一筆致啓上候、公方様益御機嫌能奉恐悦候、貴様御堅固御在府目出度存候、拙者無異儀在国仕候、然御同姓美作守殿、川中嶋先領之刻之東西之圖御備シ■■成候、将又任御約束御子息勝右衛門御儀御預可成候、子孫至り誠意不存候、猶斯来春御尋候、恐惶謹言
                             黒田甲斐守
十一月五日
    森對馬守殿

右之御書簡ハ本家有テ其写之御書成正持来りて子孫相譲り置、是慶長十七壬子年成正二十八歳ニ而筑前福岡へ引越来、為扶持於鞍手郡野面村内千石之地遣し置也、全可被領知者也、慶長十七年霜月八日長政御判森少右衛門殿、右之通之御誓詞御判物致頂戴天神町於て屋敷致拝領、寛文九年之前後御馬廻り相勤候

一、元禄年中、忠之公之御代依て村替為知行於穂波郡之内、横田村・目尾村千石之地宛行之中目録別紙有之、全可被領地者也、元和九年九月朔日、忠之御判森少右衛門殿右之御誓紙御判物頂戴致ス

一、寛永十五戊寅年正月、忠之公肥前嶋原切支丹一揆征伐之為御発向被遊より成正御供奉之時節、討死之覚悟相極相続奉願置甥九兵衛其外三人■■女子共へ財宝諸道具遺分分テあたゑんとす、同正月十一日書置し一通認メ残して出陣致、同二月廿八日、嶋原之城惣責之時城ヲ乗落城迄相戦ヒ本丸切入り手痛相働き廿八ケ所手負ヌ、年来之本望ヲ相重んじ儘討死致末息も有かのよふを本丸舅船曳刑部見付其身肩懸、陣屋に連行きけれども兼思儘なれバ其儘相果ぬ、行年五十四歳、筑前国大湖山安国寺遺骸ヲ葬
  自性院殿理叟玄真居士
元来、勝右衛門と書テ正右衛門と相唱ル之処、長政公忠之公より被下置御判物毎少右衛門と字面相替ル
妻ハ船曳刑部正重之女、早世
後妻野村隼人正真之女、寛永十一甲戌年八月廿一日死去、山号不知少林寺
 光泉院殿紅譽清林大姉


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