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森氏とも縁戚関係にあった一宮城主の関氏の菩提寺・常念寺に関する資料が出てきたので、関氏に関する部分を抜き出してメモしておきます。資料は常念寺にお参りした時にいただいたコピーです。

CIMG4438.jpg


文面が古いので旧字体が多いです。環境依存文字や旧字体は私の判断で新字体に改めています。
 )内の文字は、抜粋文章の意味が通るように私が書き足しました。
関長安=関小十郎右衛門共成。森可成の娘(碧松院・鴻野さま・高野さま)の夫、よって長可・蘭丸らの義理の兄弟にあたります。天正十二(1584)年、長久手の合戦にて森長可とともに戦死しました(後追い戦死)。



(引用開始)
(常念寺が)天正年中再び兵火に焼失したので、一宮城主関氏これを嘆き、城の鬼門鎮護として現地に移し、堂宇を建立し輪煥の美を改め、その菩提所とした。(寺記、一宮村記録、福寿院文書には慶長十三年九月移転とあるが、慶長時代には既に関氏在城せず、今真探桃集、及、蓬州旧勝録による)。

尚同所(常念寺境内墓地のこと)に寛正四年の開山碑もあり、他に一基無銘の宝篋印塔があって一宮城主関氏の碑とし、徳川家本『張州雑志』に載せてられて居る。

又当寺に一宮城主の位牌を安置する。

一 (表)浄蓮長安大居士尊儀
  (裏)當山大旦那關十良右衛門長安事 天正十三年酉四月九日長久手ニテ討死

二 (表)關氏先祖累代精靈尊儀
   (裏)關十良右衛門家御先祖ナリ

の二基である。浄蓮長安父子を混同し、且長久手合戦の年號をも誤つて居るが戦後当地にある関氏の一族または佐分氏が、関長安の遺骸を携へ帰つて当寺に葬つたと伝へるから、後年それ等の人々によつて造られ、その菩提の為に納められたものであらう。




(以上、引用終了)
(以下は私がつらつらと書いております。)

赤字にした「宝篋印塔」について。

上に述べられている宝篋印塔は現在、存在しません。
で、『張州雑志』に載せられている絵がこれです。

20150516.jpg
 
そして現在建立されている関氏の新しいお墓がこちらになります。

CIMG4442.jpg

一宮城主の位牌について。

私がお参りした時に「関氏三代の位牌」という説明板とともに本殿に安置されていたご位牌は、二基ありましたが、上で述べられているものとは違いました。

一、(表)「関十郎右衛門 先祖累代之精霊
  
二、(表)「常功院殿 瑞巌長重浄蓮大居士」 
      「瑞雲英公長安大居士

(裏)「常念寺大壇越 父浄蓮十郎右衛門公
     「天正十二年四月九日於長久手御戦没 子 長安関十郎右衛門公

『二、』のご位牌の(裏面)の文字は自分で確認していません。『関氏と一宮城』(松本勝二氏)から引用しております。
どちらも古さを感じるご位牌ですが、どうして資料に説明されたご位牌と違うのかは判りませんでした。

ついでに、一宮城跡(現:UFJ銀行敷地)。
CIMG4435.jpg
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