上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--/--|スポンサー広告||TOP↑
遅ればせながら、2015年最初の更新です。
本年もよろしくお願い申し上げます。

今年はもっとペースをあげて更新していこうと思います。
手元の情報を整理しながらデータをアップしようと思っていたら、あれこれ後回しにして全然更新できなかったので、とりあえずあんまり体裁を考えずに、ここにデータや情報をどんどんのっけていき、いつか余裕ができたらRANMARU!サイトのほうで詳しい説明を加えて体裁を整えた形で改めて掲載しようホトトギス、という結論にいたりました。

で、今回は、知人から
『森忠政が見張りを置いた葛尾城に真田昌幸の軍勢が攻め込んできた件 in 1600年』
について以下の書状の存在を教わりました。
(※出典は『葛尾城を歩く』坂城町教育委員会だそうです。)
私はこの書状の原文を見ていないのですが、下記の解読に『ん?』と思うところもあるので(私が間違っていたら恥ずかしいので今はどこかは書かないですが)、原文を探してみます。

なお、見やすいように行間を勝手にあけたのは私です(全文くっつけたら読む気失せそうだったので)。



恐れながら申し上げ候、

一 、先年、御所様へ真田安房守(昌幸)御謀反仕り候、森右近(忠政)真田衆に葛尾と申す山にとりでを仕り、井戸右衛門と申す者に侍四、五十人指し添え置き申し候ところ、安房守方より九月十八日の夜半夜討ちを入れ、足軽大将若尾弥平次と申す者預かり候二の丸を攻め申し候て、御柵三重まで踏み破り、壁下へ付き、さま越しに鑓を出し、互いに突きあい、暫く戦い申しそうらえども、敵引き申さず候につき、拙者差し引きを仕り、藤左衛門と申す足軽に鉄砲を打たせ、敵三人打たさせ申しそうらえば、敵あしあしにまかりそうろう間、我等は突いて出申しそうろうと、弥平次に断り取り出しそうら
えば、敵早速に崩れ申しそうろう間、二三反口ばかり追い掛け参りそうろう処に、若尾弥平次・松原九郎右衛門・滝川孫右衛門と申す者、後より連綿参り、拙者留め申し候、ことのほかに雨降り、前後見え申さずそうろう間引き取り候、

一、もし一人にても討死仕りそうらえば、右近外聞いかがにそうろう間、先ず城へ取り込め然るべき由申すにつき、持ち口へまかり帰りそうろう事、

一 、 真田左衛門佐(信繁)・同藤蔵大将にて、葛尾を九月二十三日の朝五つ前より、八つ下がりまで攻め申しそうろう、南面三の丸などへ、その者ども四五反口ばかり攻め盛りおり申し候ところに、敵追い上げ、拙子まかりありそうろう二の丸まで、攻め追い込まれそうろう間、我等突いて出申すと、右衛門弟井戸伝三郎に申し聞きまかりあり、 三の丸木戸口にて鑓を合わせ、それより六七反ばかり叩きて、道聞置きそうろう小屋にてまた鑓を合わせ、鑓傷二か所負い、すなわち敵の鑓朱柄に二重鞘のつき申す鑓を叩き落とし取り申しそうろう、右のおもむき見申す者は、長善右衛門・妻木金衛門・長沼多吉・若尾弥平次・山崎八郎衛門・豊前忠次郎と申す者たしかに見申し候、両度葛尾攻め申すうちに、拙者よりほか鑓を合わせ申す者、一人もござあるまじきかと存じそうろう、右近家中のもの誰々によらずお尋ねなさらるべき事、

一、このほかに存じられそうろうじん、御旗本にまかりなりそうろう左藤勘右衛門殿、伊予守様御家中に居られそうろう松平庄兵衛たしかに存じられそうろう、そのうえ御家中にまかり在りそうろう大井田勘解由等も存じそうろう間、御尋ねなさらるべきそうろう事 、

一、拙者鑓一本をもって、葛尾とりで攻め落され申さずそうろう事、その隠れござなくそうろう、すなわち右近小姓長瀬少二郎と申す者使いにて、この度拙者働きゆえ葛尾とりで攻め落されず、外聞すすぎ申すの由、きっと使い給いそうろう事、紛れなくござなくそうろう

右の段、少しも偽り申し上げずそうろうこと実正なり、よってくだんのごとし、

元和九年
閏八月六日 松村久之丞
井上太左衛門殿
高屋越後守殿


スポンサーサイト

01/15|森家コメント(4)TOP↑
この記事にコメント
ご無沙汰しております
今年も宜しくお願いします。

松村久之丞さんの報告書、大変臨場感がありますね。「一人でも討ち死にしたら外聞が」という感覚があったというのは、大変参考になります。これを読んでいて、前に自分のサイトでアップした千野氏の報告書を思い出しました(名前のところのリンクです)。「この軍功の証人は誰々だから聞いてもらってもいい」という言い回しが同じという。この中に葛尾城も言及されていて、不思議な巡り会わせを感じました……。

今後の更新も楽しみにしております。
From: 高村 * 2015/01/19 02:19 * URL * [Edit] *  top↑
高村様へ:
こちらこそ、今年も宜しくお願い申し上げます。
千野氏の報告書も拝見しました。松村久之丞さんの報告書と同じく主張すべきはきっちり主張していて気持よく、そして面白いですね。そしてその証言をちゃんと証明できる第三者の存在がいかに重要だったか伺い知れます。
それにしましても、私も高村様のように丁寧にわかりやすく現代語訳できる能力が欲しいです…。

ときに私は葛尾城に行ったことがあるのですが標高800m級の結構な要害でした。
真田方が甲冑着て、雨で足元が悪い中、しかも真っ暗な夜半にあの山を登っていってそのまま戦いをしかけたかと思うと、パワフルさに驚かされます。
From: うきき(管理人) * 2015/01/20 00:44 * URL * [Edit] *  top↑
武田の夜襲
お褒めにいただき恐縮です。独学ゆえの蛮勇ですが、ご参考になれば嬉しく思います。

葛尾城といえばかなり峻険で有名だと聞いています……驚きました。武田方は意表を衝く攻撃で有名で、駿河各地で後北条氏も悩まされました。興国寺城内に夜中突然出現したり、退却する振りをしておびき出して蒲原城を落としたりしています。真田も武田系なので、「まさか」という瞬間を狙ったのでしょうね。おっしゃるように体力がないと無理ですけれど。

ちなみに、リンクのところに入れた文書は薩埵山での合戦時のものですが、子の刻に3箇所同時攻撃を仕掛けています。が、この時は実攻撃に及ばなかったようで、偵察に行って落ちてしまった本郷さんだけが戦死者として書かれています(悪目立ち)。こういう文書があるから、史料漁りは癖になります。
From: 高村 * 2015/01/23 00:51 * URL * [Edit] *  top↑
高村様へ:
再度のコメントありがとうございます。
ともすれば、『右近外聞いかがにそうろう間』には、”森軍は葛尾城のように険しく堅固な城に入っておきながら、真田の奇襲軍にまんまと攻め入られてしまって…これで一人でも死者が出ようものなら笑い者”という意味合いも含まれているのかもしれませんね。
何はともあれ松村久之丞さんのおかげで『外聞すすぎ申す』ことができて何よりです。

また、文書のリンクもありがとうございます。
”偵察に行って落ちてしまった”というのは文字のまま、”落下”して敵に見つかってしまったんですね。
”越度”と、はっきり書かれて、気の毒い気もします。
From: うきき(管理人) * 2015/01/25 17:11 * URL * [Edit] *  top↑
名前:
コメントタイトル:
メールアドレス:
URL:
コメント:

パスワード:
管理人だけに表示:
管理者にだけ表示を許可
プロフィール

うきき

Author:うきき
戦国に生きた森一族が大好きです。
いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
タグ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。