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阿夫志奈神社(岐阜県加茂郡川辺町上川辺)に参拝してまいりました(2018年6月3日)。
森家の故郷である兼山から車で15分ほどのところにあります。


20180603a.jpg
阿夫志奈神社(←うーん、読めない!)

阿夫志奈神社は「あぶしな じんじゃ」と読むそうです。
弘仁2年(811)、天下を襲った疫病の平癒祈祷のために建設されたと言われています。
ここには、『森蘭丸の棟札』と言われるものがあり、それを特別に見せていただきました(普段は社務所は無人となっております)。

「森蘭丸の棟札」とは?

川辺町のサイトで『川辺町史』(平成8年)を閲覧することができ、「森蘭丸の棟札」についても説明されています。
棟札画像もここでチェックできます。
↓↓
『川辺町史 通史編 第二章 古代・中世』
http://www.kawabe-gifu.jp/?page_id=12750

阿夫志奈神社の森蘭丸の棟札については134ページをご覧ください。


『川辺町史』(引用開始)
本能寺で信長とともに討死した森蘭丸は、永禄八年(一五六五)金山城内で生まれたといわれている。しかし、川辺町上川辺地区にある阿夫志奈神社の棟札には、次のような記述がある。(棟札画像)

維時永禄七年
奉寄進御幕壹張 大願主森蘭丸源長定
甲子二月吉日

これによると蘭丸出生のさい、幕一張を阿夫志奈神社に寄進したとあり、生年は永禄七年(一五六四)で、一年早く出生したことになる。生年の記載誤りとすれば、十干十二支の甲子との関係が説明できない。七年と十干十二支は合致しているからである。当時の文献的な生年の記録は、必ずしも正確なものとはいえず、少なくとも出生のさいの神社への寄進は、神仏崇拝の観念から、正しいものといわざるをえないのである。今後の研究に待ちたい。

(引用終了)


この棟札を根拠に、「森蘭丸 永禄七年出生説~本当は19歳で討死したのかも~」もあるようです。

しかし、この棟札に書かれた文字のどの部分に「蘭丸出生のさいのもの」と解釈できるものがあるのか(私には)わかりません。そこまでは書いて無いような気がします。書いてないですよね?どなたか、書いてないよ、大丈夫だよってコメントしてください。

ちなみに、正式な文書として残る『阿夫志奈神社由緒記(明治12年)』には森蘭丸の棟札のことは登場しません。

棟札に書かれた文字を改めて確認してみます。

維時永禄七年
奉寄進御幕壹張 大願主森蘭丸源長定
甲子二月吉日


「維(これ)時 永禄七年
寄進(きしん)奉(たてまつ)る 御幕(まく)一張(ひとはり) 大願主 森蘭丸源長定
甲子二月吉日」

先入観を取り除いて解釈すると、この棟札は「大願主 森蘭丸源長定」とかなっているからには、ほかならぬ森蘭丸本人が願主となって永禄七年に幕を一張奉納しているという事なのではないのでしょうか。(定説に従えば、蘭丸当時マイナス1歳)
だったら「蘭丸もっともっと年輩説~私はおっさんだったのかも~」を出していいのでしょうか。
しかし、そもそも森蘭丸本人とその関係者が実際に名前に「蘭」という字を使っている形跡はないし(本人や信長の書状では「蘭」ではなく「乱」)、そして「長定」は恐らく本人は使ったことがない諱なので、ここに書かれた「森蘭丸源長定」はいったいどういうことなのでしょうか。
そして、奉納されたはずの幕はいったいどこへ?!
現存すれば、その幕でぐるぐる巻かれたいファン続出でしょうが(←幕の本来の用途とは違います)、残念なことに幕は現存しません。

見せていただいた宝物の「森蘭丸の棟札」はもう墨の色が失われていて、読みづらくなっていましたが、木の表面の墨書きの跡が凹凸に浮きあがっていてそれで何が書いてあったか奇跡的にわかるような感じでした。
裏面を確認してみましたが、やはり何も書いてなかったです。
『戦国ピーマンを食べれるようになりますように』とか、『戦場かけっこで優勝できますよう、その祈願ために幕を奉納』などの願主の具体的な願い事が書かれていてもよいと思うのですが、書かれていませんでした。

ここで更に私の仮説に基づいてこの棟札について色々検証してみたいと思っていたものの、我には知識がないのでそれは無理であり、それよりも社務所の壁にさりげなく貼ってあった報告書にクリビツいたしました。

日本原子力研究開発機構東濃地科学センターさんが「蘭丸の棟札」の木材に含まれる炭素を加速器質量分析装置で測定して(放射性炭素年代法)、作成年代を予想していたのでありました。

放射性炭素年代法とは、”宇宙放射線による核反応でつくられた放射性炭素(14C)を用いて年代を測定する方法”だそうです。森蘭丸の棟札の木材に含まれる放射性炭素の濃度を測定して作成年代が割り出されました。

宇宙放射線のおかげで森蘭丸の棟札の作成年代がわかったということです、奥様。
なんて壮大な展開!!!!
なんてすごいオチ!!!
Σ(゜□゜;

その内容がこちら。


(阿夫志奈神社 社務所に貼られていた 日本原子力研究開発機構 東濃地科学センターポスターより引用)

阿夫志奈神社には、この地域にゆかりの深い森蘭丸に関係する寄付名板が納められていました。
森蘭丸が誕生した時に寄進した御幕壹張の寄付名板で、永禄7年(1564年)2月に寄進されたと書かれています。この名板が森蘭丸誕生当時のものであれば、非常に価値の高いものとなります。そこで、この名板の年代を推定することとなりました。

【測定結果】
木材の年代 1673~1697年
年輪を考慮して板両角を測定した結果、名板は、17世紀後半の木で作られたと考えられます。名板に記載されている幕の奉納時期は1564年ですので、残念ながら名板は奉納時期のものではなく、江戸時代以降に作り直されたものと思われます。

(引用終了)


日本原子力研究開発機構 東濃地科学センター
https://www.jaea.go.jp/04/tono/
地層研ニュース「阿夫志奈神社の奉納物や本殿の年代測定を行いました」
https://www.jaea.go.jp/04/tono/miu_news/tisouken_news2307.pdf





日本原子力研究開発機構 東濃地科学センターさんは「棟札」という言い方はせずに、「寄付名板」として紹介してあります。
そして、『江戸時代以降に作り直されたものと思われます。』という調査結果に納得。
とりあえず、現存の棟札(寄付名板)そのものは森蘭丸が書いた(書かせた)可能性はなくなりました。
後世の神社関係者が『永禄七年に森蘭丸から幕を一張(はり)寄進を受けた』宝物の証が失われないように、棟札(寄付名板)を新調したか、改めて作り直したか、ということでしょうか。その時に、「森蘭丸源長定」という名前が彼の正式名として関係者によって選択されたのかもしれません。そしてもしかすると、もともとのオリジナル棟札(寄付名板)には、裏面に願主の祈願したことなどの詳細も書いてあったりしたのかもしれません。

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いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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