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津山市東一宮にある『関勘解由屋敷跡』の画像をいただきましたので掲載いたします。
(このブログ下方に画像を4枚掲載しています。)
土塁がきれいに残っている様子がよくわかります。
この関勘解由屋敷跡には私も数年前から行きたいと思いつつ、まだ訪問が叶っていない場所です。この土塁の上に寝ころんだら気持ちよさそうですね。
『関勘解由屋敷跡』は一般にはなじみのない森家レベル10(当社比)のマイナー史跡と思われますので『美作国の山城』より引用した解説を掲載しておきます。



(『美作の山城』 p.23より引用)
関勘解由屋敷 
所在地:津山市東一宮
立地:山方地区の県道三四三号線の北側に位置し、昭和池の約八〇〇m東にある。黒沢山系から南に延伸する標高約二七〇m付近の尾根上に位置する。
縄張:屋敷地らしき区画が確認されるが、内部は土塁により複雑に仕切られており後世の改変が激しい。屋敷として機能したとすると、関氏は津山盆地の後背地の高台に自らの屋敷を構えたと評価できる。関勘解由は不明であるので今後の検証が必要であるが、津山藩森家一門、関氏一族の可能性がある。
城史:「東作誌」は東南条郡東一宮村の「関勘解由屋敷跡」として、高築の地にありと記す。同書は併せて「上臈屋敷」を掲げ、西山方の農民清右衛門の持林の内にあり、上臈については不詳としている。『改訂岡山県遺跡地図』は「山方深田遺跡」とし、尾根を段状に加工しており城跡かとする。また近接する「山方鳥羽遺跡」は幅二m、高さ一mの土塁が約五〇mにわたって存在し、一部は墓地や林道で切られている。土塁の性格は明瞭ではないが城か、とする。
遺物:土器(時期不詳)
文献:「東作誌」、『苫田郡誌』、『美作古城史』、『改訂岡山県遺跡地図』津山18~20・26、『美作一宮 郷土の遺産』

(『美作国の山城』  編集:美作国の山城編集委員会/発行:第二五回国民文化祭津山市実行員会、平成22年)

引用終了



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いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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