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先日、岡山県津山市で講演をした時に、聴講くださった方から
『津山城近くの丹後山にキリシタン墓地がある』
『森忠政はキリシタンに対しておおらかだった』
というお話とともに、
『19世紀のフランス人外交官が海外にある日本の切支丹関係の記録をまとめたものに忠政の事が出てくる』
ことを教わりました。

で、福岡に戻ってから、その記録――フランス人外交官レオン・パジェス(Léon Pagès)が書いた『Histoire de la religion chrétienne au Japon 』の原文を探し当てました。

Histoire de la religion chrétienne au Japon
https://archive.org/stream/histoiredelarel02paggoog#page/n11/mode/2up

上のデータ書籍の320ページの本文最終行から321ページの5行目までが該当箇所のようです。
このデータの森忠政の部分を引用しておきます。


(引用開始)
Le prince de Mimasaka fit dire à la cour qu'il n'existait plus de chretience sur ses tress, et il ferma les yeux. Près de sa capitale était un beau cimetière, ou les chrétiens allaient faire leur prière; au centre s'élevait une croix magnifique, de 15 palmes de hauteur, comme pour vérifier les paroles du psaume: Dominare in medio inimicorum tuorum(1).

(1)Ps.CIX2.

(引用終了)


『Le Prince de Mimasaka(ル プランス ド ミマサカ)』=森忠政
なんか、かっこいいですね!
カボチャパンツはいて、マントをなびかせつつ白馬に乗ってきてくれそうですね!
それにしても、seigneur(シニョーレ)じゃなくて、prince(プランス)なんですね。

この日本語訳が岩波文庫から『日本切支丹宗門史』というタイトルで出版されているので(でも絶版)、図書館で借りてきました。


『日本切支丹宗門史 上巻』岩波文庫
レオン・パジェス (著)
吉田 小五郎 (翻訳)

(引用開始)
p.404-405
美作の領主(森忠政)は、領内にキリシタンはをらぬと政廰に報告させ、目を閉じた。
彼の城下(津山)の近くに、或る美しい墓地があつて、キリシタンはそこに行つては、祈祷を捧げてゐたが、その中央に高さ十五パルムの素晴らしい十字架を立てた。之は「汝はもろもろの仇の中に王となるべし(※)」Dominare in medio inimicorum tuorumといふ、詩編の中の言葉を實現するためのやうであつた。


※ 詩編 ps. CIX,2.



文中の「祈祷」の「祷」はもっと複雑な異字体「禱」を使っていますが、環境依存文字なので常用の文字のほうで表示しました。
…1938年の出版物とあって、岩波文庫の日本語訳も古さを感じる文章ですね。(^_^;)

私は一応フランス語は少しかじった事があるにはあるのですが、使わなくなって久しく翻訳に自信がごさいません…。
でも、古文書でも外国語でも原文を自分で精査してみないと納得できない性格なので、表現にどういった単語が使われているのか気にかけつつ訳してみました。



(管理人の日本語訳)
美作の王子(森忠政)は、もはや領内にはキリシタンは存在しないと幕府に報告して黙認した。
その都(津山)の近くには美しい墓地があり、そこでキリシタン達は祈祷を捧げていた。中央には高さ15パルムの素晴らしい十字架が立っていた。それはさながら詩編にある言葉『あなたはもろもろの敵のなかで治めよ』を実証するかのようであった。




少しはわかりやすくなったでしょうか…。

岩波文庫の日本語訳の『目を閉じた』の意味がよくわからなかったのですが、原文は” il ferma les yeux”で、文字通りに訳すと確かに『彼は目を閉じた』ではありますが、この”fermer les yeux”は『黙認する』という意味にも使いますので、そう書いたほうが判りやすりと思いそのように訳してみました。

岩波文庫訳の『政廰(政庁)』は、原文では"cour"、これは英語で言う"court"で『王室』という意味です。
日本においては徳川幕府のことが当てはまるでしょうから、そのように訳してみました。

『15パルム』は原文では"15 palmes"。”palm”はもとは「手のひら」という意味ですが、長さの単位としても使います。
で、15パルムは何センチなんだーー!!!
と、なるとよくわかりません。
palmはヨーロッパの国や時代(古代-現代)によって変動があります。手のひらの幅で計る地域では訳7.6cm-10cmくらい、手のひらの長さで計る地域では18-25cmくらいです。
これを書いた19世紀のフランス人レオン・パジェスさんがこの記事を記すにあたり、引用元にあった記述をまんま引用してきたか、それとも、レオンさんの当時のフランス基準で計算しなおした上で記事を記したものなのかわからず、答えが出せませんでした。
一応、中世おフランス方式ではだいたい1パルムが25cmなので、15×25cm=375cmでしょうか(ご意見お待ちしております。)。
でけーよ!!!バレるよ!!
それはヤバすぎるよ!!
そんな露骨に十字架を立てていたとしたら、さすがに忠政も黙認できないで倒しにかかると思うんですが、原文が”une croix magnifique(素晴らしい十字架)”…この形容詞”magnifique”は「壮麗な」とか「豪華な」という意味合いを含む「素晴らしい」なので、そのくらいの迫力はあったのかもしれません。

ただ、「森忠政」、「十字架」というと、森忠政の使っていた筆文字の『十』文字の家紋がちらつく私です…。

忠政が使っていたその十字紋を以って”忠政はキリシタンだった”説もあったようですが、私の個人的意見では、あの一向宗(浄土真宗)に超絶ウルトラ熱心な母や叔父の元で育った忠政がキリシタンに傾倒するとは考えにくいものがあります(あくまでも個人的な想像です)。

そして原文最後の「Dominare in medio inimicorum tuorum.」はラテン語です。
文字通りに訳すと(ラテン語は大学の選択科目で1年間習った程度の初心者です)、
「あなたの敵の真ん中で治めなさい。」
となります。
この言葉については、日本語訳の聖書からかっこよい言い回しを引用すると、
『あなたはもろもろの敵のなかで治めよ』
とのことです。
聖書の世界については深く知らないのですが、手元にある資料で少し調べた限りでは、この言葉の発言者は主ヤハウェ(万物の創造者である神)であり、「あなた」というのはダビデ王(もしくは別の王)のことらしいです。
岩波文庫の訳が「汝はもろもろの仇の中に王となるべし」となっているので、「王」の言葉につれらてこれは森忠政に対して言っているものと勘違いしそうになりますが、フランス語の原文を読むと、この言葉は十字架を立てて祈祷を捧げるキリシタン達に対して言っていることがわかります。

ところで、この記事のことを教えてくださった方が話していた『丹後山』がどこにも出てこない…。Σ(゜□゜;
そういえば、松田重雄という方の著作本もお手にお持ちだったから、そっちに載っていたのかしら。(^_^;)



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福岡黒田藩士 森成正-森勝右衛門

天正十三乙酉年、美作国津山ニ而出生
慶長年中筑前国君長政公ヨリ父可政方御契約有シ其御書簡曰、
一筆致啓上候、公方様益御機嫌能奉恐悦候、貴様御堅固御在府目出度存候、拙者無異儀在国仕候、然御同姓美作守殿、川中嶋先領之刻之東西之圖御備シ■■成候、将又任御約束御子息勝右衛門御儀御預可成候、子孫至り誠意不存候、猶斯来春御尋候、恐惶謹言
                             黒田甲斐守
十一月五日
    森對馬守殿

右之御書簡ハ本家有テ其写之御書成正持来りて子孫相譲り置、是慶長十七壬子年成正二十八歳ニ而筑前福岡へ引越来、為扶持於鞍手郡野面村内千石之地遣し置也、全可被領知者也、慶長十七年霜月八日長政御判森少右衛門殿、右之通之御誓詞御判物致頂戴天神町於て屋敷致拝領、寛文九年之前後御馬廻り相勤候

一、元禄年中、忠之公之御代依て村替為知行於穂波郡之内、横田村・目尾村千石之地宛行之中目録別紙有之、全可被領地者也、元和九年九月朔日、忠之御判森少右衛門殿右之御誓紙御判物頂戴致ス

一、寛永十五戊寅年正月、忠之公肥前嶋原切支丹一揆征伐之為御発向被遊より成正御供奉之時節、討死之覚悟相極相続奉願置甥九兵衛其外三人■■女子共へ財宝諸道具遺分分テあたゑんとす、同正月十一日書置し一通認メ残して出陣致、同二月廿八日、嶋原之城惣責之時城ヲ乗落城迄相戦ヒ本丸切入り手痛相働き廿八ケ所手負ヌ、年来之本望ヲ相重んじ儘討死致末息も有かのよふを本丸舅船曳刑部見付其身肩懸、陣屋に連行きけれども兼思儘なれバ其儘相果ぬ、行年五十四歳、筑前国大湖山安国寺遺骸ヲ葬
  自性院殿理叟玄真居士
元来、勝右衛門と書テ正右衛門と相唱ル之処、長政公忠之公より被下置御判物毎少右衛門と字面相替ル
妻ハ船曳刑部正重之女、早世
後妻野村隼人正真之女、寛永十一甲戌年八月廿一日死去、山号不知少林寺
 光泉院殿紅譽清林大姉



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