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妙願寺(岡山県津山市)には、森蘭丸の母・妙向尼の妙願寺宛ての書状が残っています。
妙願寺宛てとは言っても、当時の初代住職・了向さんは、妙向尼にとっては外孫に当たる人です。

この書状をサイト上でずっと紹介できなかったのは、私の能力ではママンの書状がなかなか読めなかったからです。

女性の筆遣いは、女筆(にょひつ)と言われていて、『まゐらせ候』や『候べく候』などと言った独特な言い回しが使われていて、かな文字のくずし方もこれまた独特な連綿体の連続です。
古文書が読める人でも女筆の判読は苦手な人が人が多くて、つい、逃げて通ってしまうものらしく…。

で、今回は書籍(『森蘭丸とその母の流れ』森嵩正/近代文芸社)に載っている解読をほぼ参照しました。
解読文を読んだ上でなら、書状に書いてある字が私でも認識できる感じだったので…。




ふみにて申し入れまゐらせ候 いよいよそもじどの息に御くらし候はんとめで度存じまゐらせ候 さ候へば廿日の夕ほう恩講御取こしいたし度くぞんじまゐらせ候まま■義ながら参詣たのみ入まゐらせ候 めで度かしく

なほいつぞややくそくいたしまゐらせ候かけもの進め候 受け取申され候 かしく 
                                                妙向

妙ぐわんじどの
  まゐる
 




1:参考にした解読文では、意味が分かりやすいようにか解読が『息災』になっていましたが、実際の書状の文字は『息才』と読めますので、そのまま表記しました。妙向尼の書状に限らず、今まで読んだ古文書でも『息才』の字が使われていたケースがありました。妙向尼は『災』の文字を使いたくない人だったんだろうと思うので、その性格を尊重して敢えて『息才』と表記しておきます。

2:■は、文字が解読不能らしいですが、私が書状を見ると『太』に読めました。『太義』って言い方で「大儀」と同じ意味にはならないですかね…。だめ…?これまで解読不能とされている文字が、あっさり私にわかるはずないか…。

3:意味はもう少し勉強してから書きます…。

4:書状の画像は、『森蘭丸とその母の流れ』(森嵩正/近代文芸社)や『津山の文化財』(津山市教育委員会)などにありますが、今はどちらも入手しづらいようです。

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01/22|森家コメント(2)TOP↑
遅ればせながら、2015年最初の更新です。
本年もよろしくお願い申し上げます。

今年はもっとペースをあげて更新していこうと思います。
手元の情報を整理しながらデータをアップしようと思っていたら、あれこれ後回しにして全然更新できなかったので、とりあえずあんまり体裁を考えずに、ここにデータや情報をどんどんのっけていき、いつか余裕ができたらRANMARU!サイトのほうで詳しい説明を加えて体裁を整えた形で改めて掲載しようホトトギス、という結論にいたりました。

で、今回は、知人から
『森忠政が見張りを置いた葛尾城に真田昌幸の軍勢が攻め込んできた件 in 1600年』
について以下の書状の存在を教わりました。
(※出典は『葛尾城を歩く』坂城町教育委員会だそうです。)
私はこの書状の原文を見ていないのですが、下記の解読に『ん?』と思うところもあるので(私が間違っていたら恥ずかしいので今はどこかは書かないですが)、原文を探してみます。

なお、見やすいように行間を勝手にあけたのは私です(全文くっつけたら読む気失せそうだったので)。



恐れながら申し上げ候、

一 、先年、御所様へ真田安房守(昌幸)御謀反仕り候、森右近(忠政)真田衆に葛尾と申す山にとりでを仕り、井戸右衛門と申す者に侍四、五十人指し添え置き申し候ところ、安房守方より九月十八日の夜半夜討ちを入れ、足軽大将若尾弥平次と申す者預かり候二の丸を攻め申し候て、御柵三重まで踏み破り、壁下へ付き、さま越しに鑓を出し、互いに突きあい、暫く戦い申しそうらえども、敵引き申さず候につき、拙者差し引きを仕り、藤左衛門と申す足軽に鉄砲を打たせ、敵三人打たさせ申しそうらえば、敵あしあしにまかりそうろう間、我等は突いて出申しそうろうと、弥平次に断り取り出しそうら
えば、敵早速に崩れ申しそうろう間、二三反口ばかり追い掛け参りそうろう処に、若尾弥平次・松原九郎右衛門・滝川孫右衛門と申す者、後より連綿参り、拙者留め申し候、ことのほかに雨降り、前後見え申さずそうろう間引き取り候、

一、もし一人にても討死仕りそうらえば、右近外聞いかがにそうろう間、先ず城へ取り込め然るべき由申すにつき、持ち口へまかり帰りそうろう事、

一 、 真田左衛門佐(信繁)・同藤蔵大将にて、葛尾を九月二十三日の朝五つ前より、八つ下がりまで攻め申しそうろう、南面三の丸などへ、その者ども四五反口ばかり攻め盛りおり申し候ところに、敵追い上げ、拙子まかりありそうろう二の丸まで、攻め追い込まれそうろう間、我等突いて出申すと、右衛門弟井戸伝三郎に申し聞きまかりあり、 三の丸木戸口にて鑓を合わせ、それより六七反ばかり叩きて、道聞置きそうろう小屋にてまた鑓を合わせ、鑓傷二か所負い、すなわち敵の鑓朱柄に二重鞘のつき申す鑓を叩き落とし取り申しそうろう、右のおもむき見申す者は、長善右衛門・妻木金衛門・長沼多吉・若尾弥平次・山崎八郎衛門・豊前忠次郎と申す者たしかに見申し候、両度葛尾攻め申すうちに、拙者よりほか鑓を合わせ申す者、一人もござあるまじきかと存じそうろう、右近家中のもの誰々によらずお尋ねなさらるべき事、

一、このほかに存じられそうろうじん、御旗本にまかりなりそうろう左藤勘右衛門殿、伊予守様御家中に居られそうろう松平庄兵衛たしかに存じられそうろう、そのうえ御家中にまかり在りそうろう大井田勘解由等も存じそうろう間、御尋ねなさらるべきそうろう事 、

一、拙者鑓一本をもって、葛尾とりで攻め落され申さずそうろう事、その隠れござなくそうろう、すなわち右近小姓長瀬少二郎と申す者使いにて、この度拙者働きゆえ葛尾とりで攻め落されず、外聞すすぎ申すの由、きっと使い給いそうろう事、紛れなくござなくそうろう

右の段、少しも偽り申し上げずそうろうこと実正なり、よってくだんのごとし、

元和九年
閏八月六日 松村久之丞
井上太左衛門殿
高屋越後守殿



01/15|森家コメント(4)TOP↑
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いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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