日本100名城のうち、森家が関わったお城で紹介しきれなかった分の残りを載せます。


NO.43 犬山城
森家の居城・美濃金山城が破却されてのち、その廃材を筏(いかだ)に組んで木曽川経由で運び、犬山城の築城の資材にしたという説があります。
Dc5.jpg



NO.46 長篠城
武田勝頼軍に囲まれて籠城を余儀なくされた長篠城。織田信長と徳川家康の連合軍が長篠城への援軍に向かいます。それから長篠の戦いになだれこむのですが、この時には、森長可率いる森軍も従軍していました。
Dc6.jpg


NO.44 名古屋城
徳川家の名古屋城が築かれる前には、この地には織田信長が一時期居城としていた「那古野城」が存在したことが発掘調査でわかっています(現在の名古屋城二の丸・三の丸周辺)。信長に仕えていた森可成もこの城と関わったことでしょう。
100-44.jpg


NO.60 赤穂城
江戸期の森家が、津山から転封させられたのが赤穂でした。以降、赤穂城が森家の居城となっています。
100名城が選定される前にでかけていたので、スタンプまだ押せてません…。


NO.73 広島城
所領没収の憂き目にあった福島正則の居城・広島城。その広島城接収の時、森忠政を含む幕府軍は、万が一の福島正則の抵抗を事を考えて軍備を備えて広島城に向かいました(結局、何事もなく無事に接収は終了)。
Dc7.jpg
スポンサーサイト
07/25|森家コメント(0)TOP↑
日本100名城のうち、森家が攻めたことのある城です。



NO.27 上田城
ご存知真田一族の城です。慶長5年(1600年)の徳川秀忠の上田城攻めに森忠政も従軍していました。
100-27.jpg


NO.30 高遠城
天正10(1582)年、織田信忠を総大将にした武田攻めに森長可が従軍し、高遠城攻めでは大いに活躍しました。
100-30.jpg


NO.38 岩村城
武田と織田で奪い合った城です。天正3年(1575年)の岩村城攻めに森長可も従軍しました。
100-38.jpg
07/23|森家コメント(0)TOP↑
日本100名城のうち森忠政が天下普請(豊臣やら徳川が大名たちに城を造らせた)をお手伝いすることで関わった城です。

・和田倉休憩所で押した江戸城スタンプはインクが初めから調子が悪かったので、どうやっても陰影が黒くなってしまってショックです…。

・「大阪城」に関しての「普請手伝い」というのは豊臣期の「大坂城」ではなく、徳川期の大阪城の普請手伝いです。もちろん、豊臣の大坂城にも、大坂の陣などで森家も大いに関わりました。

・あと日本100名城に関して、『森家先代実録』の記録では名古屋城(現・愛知県)の普請手伝いもしたことになっているのですが、それを裏付けする他の資料が出てこないので本当に手伝ったかどうか不確かですので、ここには掲載していません。


NO.21 江戸城
100-21.jpg


NO.41 駿府城
駿府城には行きましたが、100名城選定前のことだったので、まだスタンプを押せてません



NO.54 大坂城
100-54.jpg


NO.57 篠山城
100-57.jpg


NO.87 名護屋城
100-87.jpg



日本100名城公式サイト
http://www7a.biglobe.ne.jp/~nihonjokaku/100meijo.html

07/20|森家コメント(0)TOP↑
NO.38 岩村城
武田氏平定後に森蘭丸が織田信長より拝領したとされる。
そうじゃないとする説もありますが、少なくとも一時期は東美濃を制圧した森家(長可・忠政)の支配下にありました。
100-38.jpg


NO.39 岐阜城
美濃を平定した後に織田信長の活動拠点となった城。斎藤氏政権下の稲葉山城時代(岐阜城の前身)より、森家も大きく関わっています。
100-39.jpg


NO.51 安土城
言わずと知れた織田信長の城。森家や多くの重臣・家臣が出入りしたことでしょう。
なお、安土城内には伝・森蘭丸邸跡があります。
100-51.jpg
頑張ってキレイに押そうとしたのですけどもともとスタンプインクがうすくて美しくなりませんでした。



日本100名城公式サイト
http://www7a.biglobe.ne.jp/~nihonjokaku/100meijo.html

07/18|森家コメント(0)TOP↑
 森家が関わっているお城も含まれているということで始めた『日本100名城』のスタンプ押しです。
現在時点で集まったスタンプは53城ぶん、途中からやり始めたので、行ったことがあるのにスタンプが押せていない取りこぼしの城も多いですが、必ずまた押しに行こうと思います。
しかし、『日本100名城』だけあって森度がゼロの北海道と沖縄にもスタンプ対象の城があるので、100名城コンプリートまでの道のりは遠いです…。

戦国森家の本拠地だった金山城(岐阜県可児市兼山)が入っていないことを嘆きつつ、森家の居城ともなった2城「津山城」と「松代城」のスタンプのご紹介です。


NO.26 松代城(海津城・待城)
天正10(1582)年、武田滅亡後、織田信長から信濃四郡を与えられた森長可の川中島での本拠地(本能寺の変により放棄)。
のちに、徳川家康から森忠政へ川中島に所領が与えられ、関ヶ原合戦後に美作に移るまでの居城となった。
忠政は海津城を「待城」と名を改め、現在の城名と地名「松代」の元を作る。
20130714b.jpg


NO.67津山城
徳川より美作国主に任じられた森忠政が津山に築いたお城。
20130714a.jpg




日本100名城公式サイト
http://www7a.biglobe.ne.jp/~nihonjokaku/100meijo.html

07/14|森家コメント(0)TOP↑
 岡山県津山市の森家(蘭丸らの母/妙向尼)の菩提寺・妙願寺の境内にある『妙向禅尼之像』です。
妙願寺には『妙向尼画像』もあるのですが、その画像がこの石像のモデルとなっているそうです。
ちなみに画像も右手に数珠を持っておられます。
数珠は左手でという現代の作法とは少々違うのでしょうか。

20130712c.jpg

20130712a.jpg

 石像下の土台に彫られた言葉を下記に転記しました。


『妙向禅尼之像』
津山城主森忠政公御母堂妙向禅
尼ハ夫君森可成公討死ニヨリ剃
髪シ浄土真宗ニ歸依ス石山戦争
ニ際シテハ和睦成立ノタメニ奔
走シ本願寺ノ危機ヲ救フ是ニ於
テ織田信長公トノ盟約ニヨリ妙
願寺ヲ建立ス今茲ニ歎異抄ニ聞
ク會創立十五周年ヲ迎ヘマタ森
長可・関成倫兩公四百回忌並ビ
ニ森忠政公三百五十回忌ニ當タ
リ所藏ノ勝壽院殿妙向禅尼御眞
影ヲ謹寫シテ石像トナシ禅尼ノ
遺徳ヲ偲ブ

昭和五十七年六月
妙願寺第十五第院家森嵩正識
07/13|森家コメント(0)TOP↑
20130711b.jpg

 続いて、津山城跡(岡山県津山市)にある森忠政の銅像です。バックにそびえるのはモチロン、津山城の石垣です。

この忠政像のモデルは、津山城下にある森忠政の菩提寺・本源寺のご寺宝である森忠政公座像(木像)だと伺っています。
しかし、木像の忠政公はいかにも顔立ちの整った武将で、見るからにカッコいいのですが…銅像のほうは…

20130711e.jpg

一体何があったのでしょうか…。

20130711d.jpg
後ろ姿

20130711c.jpg

個人的には「もっとカッコよくして欲しかった…。」と、思っています。
せめて、首をつけて欲しかったです…。
ここに来るたびに、カッコイイアングルを求めて何枚も撮影するのですが、未だ奇跡のショットに出会えません。
07/12|森家コメント(0)TOP↑
 今回は森一族のメンバーの銅像・石像などを紹介します。
まずは大阪青山歴史文学博物館前(兵庫県川西市長尾町)にある森蘭丸の銅像です。
蘭丸単体ではなく、織田信長と塩川伯耆守の三人が銅像になって並んでいます。塩川氏(または塩河氏)はこの銅像が建つ地元の武将。

以下画像、逆光で写りが悪くてすみません。

20130807e.jpg
塩川伯耆守(左)、織田信長(中央)、森蘭丸(右)。天守閣みたいな建物は大阪青山歴史文学博物館。

20130709b.jpg
背後から撮影。

20130708c.jpg
森蘭丸銅像。

20130807d.jpg

森蘭丸の銅像の顔(画像クリックで拡大)。

 なぜ兵庫県にこの銅像があるのかといえば『信長公記』の以下の記述(銅像の台座にある文章を下に書き出しておきます。)からインスパイアされたもののようです。
織田信長が多田の谷と言われるこの地元で鷹狩りをした時のものからのイメージでしょうか。


『信長公記』関連記事

天正三(1575)年
六月廿七日:御上着 相国寺御寄宿
七月朔日 :塩河伯耆(長満)是は御馬拝領、畿内隣国面々御出仕これあり

天正七(1579)年
三月十四日:多田の谷御鷹つかはされ候、塩河勘十郎、一献進上、其時御道複(道服どうふく)下され頂戴、忝き次第なり
三月晦日 :御鷹野、みのをの滝御見物。其の日十三尾の御鷹少し足を痛め申すの由候
四月十八日:塩河伯耆守へ銀子百枚遣はされ候、御使森乱(蘭丸)中西権兵衛相副へ下さる、過分忝きの由候なり

天正八(1580)年
二月廿七日:山崎に至って御成り
爰にて津田七兵衛信澄・塩河伯耆・惟住五郎左衛門(丹羽長秀)両三人、兵庫はなくま表へ相働き御敵はなくまへ差し向ひ然るべき地を御取出の御要害に仕候て、池田勝三郎父子(信輝・之助・輝政)三人入れ置き其上帰陣仕るべきの旨仰付けられ訖




銅像のある大阪青山歴史文学博物館サイトへのリンクです。


大阪青山歴史文学博物館
http://www1.osaka-aoyama.ac.jp/oa/museum/index.html

トップページ > ご挨拶 > 目的
古代から現代まで歴史に名を残す地に、日本建築の集大成を再現
清和源氏発祥の地・川西は、歴史上の要衝(銅像画像あり)

http://www1.osaka-aoyama.ac.jp/oa/museum/outline/purpose.html

07/09|森家コメント(0)トラックバック(1)TOP↑
 森家にも関係あるといえば…関係のある豊臣期の大坂城に関しての話題です。(大坂の陣には森家も参戦《アンチ豊臣ですが》しましたしね!)

現・徳川期の大阪城の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣を発掘し、公開しようというプロジェクト資金を募る『太閤なにわの夢募金 -豊臣秀吉が築いた初代大坂城 石垣公開プロジェクト-』では、1万円以上の寄付をお寄せのお金持ちの方には寄附特典として
『大阪造幣局製造、オリジナル記念メダル「太閤通宝」』が贈られるそうですよ。
豊臣時代の大坂城がデザインされたキラキラメダル!
欲しいんですけど!!(ノД`)



 太閤なにわの募金
http://www.toyotomi-ishigaki.com/hideyoshi.html



07/05|お役立ちコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 楽天市場内のショップで売っているグリーティングカードです。
 演じられる役柄によって変わる歌舞伎の隈取。
森蘭丸はこんな隈取なんですねー。
あー、でも、グリーティングカードには明智光秀のシンボルのキキョウの花まであしらわれてますね。


07/01|お役立ちコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
プロフィール

うきき

Author:うきき
戦国に生きた森一族が大好きです。
いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

カレンダー
06 | 2013/07 | 08
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
タグ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR