今年、美作国建国1300年を迎え、森家も関係するようなイベントがあるようですが、目玉の一つが津山城天守復元です。8月初旬に完成のようです。
どのようなものになるでしょうか、楽しみですね。



美作国建国1300年
http://www.mimasaka1300.org/index.html
>イベント一覧
http://www.mimasaka1300.org/eventlist/detail/index/88

■ 8月1日 津山城天守復元 ~今こそ和っしょい津山城~
日 時:平成25年8月初旬完成
場 所:津山城(鶴山公園)
内 容:建国1300年の節目に模擬天守を作成する。8月初旬の完成を目指し市民の郷土愛の醸成や観光振興へ繋げる。
問合せ:一般財団法人 津山青年会議所


(以上、美作国建国1300年サイトより引用)



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日本全国どの市町村にも納税できる「ふるさと納税」。
ふるさと納税をした自治体から、特典をもらえるケースも多くなっています。
しかも、ふるさと納税による寄付は額のほぼ全額が税額控除されます(税額控除をしてもらうには確定申告が必要になります)。

「ふるさと納税」応援サイト
http://www.f-tax.jp/

ふるさと納税ポータルサイト「ふるさとチョイス」
http://www.furusato-tax.jp/

控除になる寄附金額の目安は?
http://www.furusato-tax.jp/example.html


森家の故郷である、岐阜県可児市と岡山県津山市でも、「ふるさと納税」を受け付けています。


 岐阜県可児市(可児市サイト内)
http://www.city.kani.lg.jp/view.rbz?nd=370&ik=3&pnp=367&pnp=370&cd=463
施策を『ふるさとの文化・芸術・歴史応援』に指定しすることにより、たとえば「金山城跡整備事業」などにも使ってもらえるようです。
特典:(2万円以上の寄附に限り)感謝の気持ちとして、ふるさとの特産品(可児そだち)をもらえます。

 岡山県津山市(津山市サイト内)
http://www.city.tsuyama.lg.jp/index.cfm/20,17732,57,339,html
寄附の使途を指定すれば、津山城や(森家?)史跡に役立ててもらえるようです。
特典:
・広報紙「広報つやま」を1年間送付
・「ふるさと津山サポーター 年間パスポート」:「津山城(鶴山公園)」「津山郷土博物館」「津山洋学資料館」へ1年間無料で入場できるパスポート



番外編ですが、関ケ原町の「ふるさと納税」は

 岐阜県不破郡 関ケ原町
http://www.town.sekigahara.gifu.jp/view.rbz?cd=504
10,000円以上の寄付で「歴史民俗資料館 戦国グッズ等詰め合わせ」(武将を指名できます。)

…ああ、もし、森忠政も関ヶ原の合戦に参戦できていれば「戦国グッズ」を森忠政に指名できたものを!!!
悲劇!
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 『三百回忌にちなみ制作?の信長座像みつかる
 安土城下の寺院から 23日から公開』

(2013.2.21 12:45 産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130221/wlf13022112490010-n1.htm

 
 織田信長の300回忌に合わせて明治時代に制作されたとみられる木造の座像が、滋賀県近江八幡市の信長ゆかりの旧安土城下町にある浄厳院(じょうごんいん)からみつかった。同市の県立安土城考古博物館で23日から初公開される。

 高さ約50㌢の寄せ木造りで衣冠束帯姿、目は切れ長で精悍(せいかん)な顔つき。像の台座には、明治14(1881)に京都の仏師が制作したと墨書されている。

 浄厳院は、信長が安土城を築き城下町を整備する際に他所から移設させた寺院。木像は、この本堂の厨子内に安置されていた。信長を描いた肖像画などの絵画類は全国に多数残っているが、木像は数体しかないという。

 調査に当たった同博物館は墨書された制作年が「本能寺の変」で信長が亡くなった1582年から300回忌の頃に当たることに着目。山下立学芸員は「江戸時代が終わって新しい明治の世になり、価値観が激変する中で安土の住人たちが信長を再評価しようとした」とみている。

 木像は同館の企画展「蒲生郡の風土と遺宝」で4月7日まで公開される。問い合わせは同館(電話0748・46・2424)。

(以上、リンク先 産経新聞より記事引用)


 明治時代の作のようで、木像の面立ちも私のイメージの織田信長とはちょっと違っていましたが(リンク先記事には織田信長座像が3点掲載されています)…。
お寺の中はまだまだお宝が眠っているようです。
このようなニュースを見ると、森家に関するものも、いつかどこかの寺社仏閣でひょっこり新発見となることもあるのでしょうね。そんな期待が膨らみます。
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 津山で開催された『シンポジウム 初代津山城主 森忠政と津山の街づくり』のチケットです。
久保田千太郎さん(郷土出身の脚本家・漫画『森一族・藩翰譜』作者)、森可展さん(森家第18代ご当主)、皆木和義さん(郷土出身の作家/小説『名君の門 戦国武将森忠政』作者)を講師に、まずは講師それぞれによる講話があり、続いて3名講師が並んでのパネルディスカッションという2部構成でした。

「皆木さんの小説『名君の門』で森忠政をドラマ化できないのでしょうか?」
という観客からの質問にも、久保千太郎さんはあっさりと
「織田信長には何といっても華があるので視聴率を取れるけど、森忠政を主役のドラマは(忠政の活躍が地味なので)視聴率の点で難しい。」とおっしゃってました

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引き続き『津山城築城400年記念公演会 冬の巻』チケット(整理券)です。
西ヶ谷恭平さんが津山城を語られました。

講演内容は、津山城の石垣のすごさと、美濃国金山城と津山城との比較、津山城下に残る津山城遺品(城門)のお話などでした。
機会があれば、その講演内容をまとめたいと思います。


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津山城築城400年記念事業の年に開催されたミュージカル『石の記憶』のチケットです。

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「君は忠政に逢えるだろうか」のキャッチフレーズです。
ミュージカルには森忠政・妙向尼・森蘭丸・坊丸・力丸も登場しました。


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20130219.jpg

↑↑画像クリックで拡大

昨日は、兼山町時代の兼山町歴史民俗資料館の入館券をご紹介しましたが、本日は、兼山歴史民俗資料館時代(可児市に合併後)になってからの入館券をご紹介します。

旧校舎を利用した資料館画像と、森蘭丸画像、森武蔵守長可肖像画、斎藤正義肖像画があしらわれています。


 斎藤大納言正義は、森可成が金山城を築城する以前の時代にあの古城山に城を築いていた烏峯城の城主です。
最終的に彼は久々利城主・土岐三河守悪五郎から宴に招かれて謀殺されました。
ちなみに、その土岐三河守悪五郎は、のちに森長可から金山城に招かれて謀殺されました。

 今も兼山に残る斎藤大納言正義の肖像画は、戦国時代のリアルな武士の姿を描いたものとして大変に貴重で有名なものです。
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20130217a.jpg
↑↑↑画像クリックで拡大されます。

 森家の故郷・岐阜県可児市兼山にある「兼山町歴史民俗資料館」の入館券です。
兼山町が可児市に吸収合併された現在は、資料館は「兼山歴史民俗資料館」になっています。

入館券には、旧校舎を利用した資料館の建物と森武蔵守長可公肖像画がデザインされています。
森蘭丸生誕の地 かねやま」ロゴも忘れずに配されています。

この入館券を100枚くらい集めて、動かない森長可パラパラマンガを楽しみたいものですね。

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 非常にネタ系の記事です。

森一族の故郷・可児市兼山にあるお食事処「蘭丸亭なかえ」さん。
そこで食事をするたびに、ご自由におとりくださいマッチをいただいて帰っていました。
現在もこのマッチがあるかどうかはわからないです。


20120216a.jpg

鶴丸紋の鶴首が逆向きになっているのはわざとなのでしょうか(不明)。
 

20120216b.jpg

裏面にしてみれば
『本能寺の変で活躍せし若き青年大名 森蘭丸生誕の地 かねやま』
の文字。

マッチ1つも思い出の品なのであります。
02/16|森家コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
ブログ「もりだくさん。」に新しく「もり語録」ジャンルを追加しました。
森家にまつわるココロに沁みる名言や、シビレるセリフなどをご紹介していきたいと思います。




『蘭丸はよき人の人参なり
骨を煎じ汝らに呑ませたきもの』  織田信長





『森家先代実録 巻第三』にでてくる織田信長のセリフです。
人参というのは薬用の朝鮮人参のことです。
キャロット蘭丸ではなく、ジンセン(Ginseng)蘭丸です。



 ある時、信長公はお手の爪をご自分で切って、扇の上に乗せて「これを捨てよ。」と蘭丸君にお渡しになった。
蘭丸君、隣の部屋でこれを数えて見れば、お爪は九つ。
信長公の元へお立ち帰りになって信長公のお膝周りまで、あちこちと見回してみる。
「何を探しているのだ。」と信長公がお尋ねなので「お爪が一つ足りません」と蘭丸君。
信長公はお手からお爪を一つお渡しになり、お側の小姓たちへ、
「蘭丸は、すぐれた人の人参である。骨を煎じてそなたたちに飲ませたいものだ。」とおっしゃった。
すべてにおいて入念にご奉公せよとの仰せだったとか。



蘭丸の爪の垢じゃなくて、骨を煎じて飲ませたいんですね(蘭丸本人死亡)。
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 『JAひがしみの』様サイト内の昔話をリンクさせていただきました。森長可にまつわる昔話です。

どんな場合も、よく確かめもしない早合点はいけないというお話です。



 『ひがしみの昔話』
http://www.ja-higashimino.or.jp/book/index.html

>『坂折峠の早合点〈中津川市蛭川〉
http://www.ja-higashimino.or.jp/book/l_data.html?05-0000=0001&04-0000=0032

 昔話にあるように、「坂折峠」は森長可が苗木城攻めに使ったルートにある峠です。昔は森家の本拠地・金山そばの八百津から苗木城下まで延びる道筋・黒瀬街道があり、その中に坂折峠もありました。

 恵那市教育委員会が2003年に刊行した『黒瀬街道調査報告書』では、森長可の苗木攻めにも触れてくれていて、地図で「坂折峠の待ち伏せ」地点も示してくれています。


google map で森長可暗殺計画「坂折峠の待ち伏せスポット」を探し出しましたが、『黒瀬街道調査報告書』に習えばここみたいです(緑の矢印)。

大きな地図で見る

私もかつてはこの坂折峠を目指したのですが「熊がでたらいけないから。」と、地元の師匠に山中でゆっくりさせてもらえずに、本当に到着地点がその場所だったか確信が持てないまま山を下り、今日にいたります。



以下、『黒瀬街道調査報告書』より引用

坂折峠の待ち伏せ
『 森長可は苗木城を攻めるために、3,000騎の大軍を従えて中野方・蛭川を経て高山村へ出陣した。しかし、付知川の増水と苗木勢の強力な抵抗にあって退陣することになった。この時小池忠兵衛は中野方坂折峠で長可を待ち伏せて鉄砲を撃った。長可は落馬した。小池兄弟は長可を射止めたものと思い引き上げた。しかし長可は敵の襲撃を避けるために馬より降りたのであった。長可は翌年天正11年(1583)岩村城主と手を組んで再び苗木城を襲撃したが、長可軍は法泉寺坂の戦いに敗れた。そして5月再び大軍を率いて、中津川側と高山側からせめて苗木城を落城させた。」 


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芳年の絵による『新形三十六怪撰』のうち『蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図』です。戦国時代にはありえないほど動きにくそうな服装で、ありえないリアクションとってます。(^O^)
家紋の鶴をちりばめすぎだし。(^O^)

ともかくも、これは、下記のような逸話を下にして描かれたものでしょう。
拙サイトRANMARU!逸話より引用


堺に妙国寺というお寺にはそれは巨大な蘇鉄があった。この蘇鉄が枯れそうになった時、寺の僧達は手を尽くしたが遂に枯れ果ててしまった。
しかし、高僧たちが法華経を唱えてみたところ、次第に青みを帯び、ついに元のように活き活きとなった。
「これが法華経の功徳」と、この一件はたちまちのうちに噂となり、蘇鉄には参拝客が絶えなかったという。

この摩訶不思議を忌まわしく思った信長は「政治の妨げになる。」と、家来に命じて蘇鉄を引っこ抜いて安土城の庭に移させた。

ある夜更け、信長は庭の方から「妙国寺へ帰ろう。帰ろう。」と声がするのを聴いた。蘭丸を召し出して説明したところ、せっかちな蘭丸は、とっとと明かりを持って縁側に出た。信長も刀を持って後についていった。
再び、「妙国寺へ帰ろう。帰ろう。」と声がたつより早く、蘭丸は、づかづかと庭先に下りて行き、声を頼りに正体を突き止めると、犯人は蘇鉄だった。
蘭丸が「今の声は蘇鉄から出ていました。」と報告すると、信長は大爆笑。
「枯木が蘇った話と言い、これは妖怪のたぐい。明日あの木をことごとく切ってしまおう。」と寝所に戻っていった。蘭丸は次の間で宿直した。
翌日、信長や近習が縁側で見守る中、300人の者が斧を持ってこの蘇鉄を切ろうとした。しかし、なんとしたことか、300人ともが倒れて吐血して悶絶するではないか。

しばらくして信長、「………魏の曹操も梨の木を切ろうとして死んだ。古木の霊を犯すようなマネをしてはならない。」

結局その蘇鉄は元の妙国寺に返品され、あの、信長ですら法力には勝てなかったと、ますます蘇鉄はもてはやされた。




 あれから、数百年。
織田信長も森蘭丸も既にもう遠い時の人とあいなりましたが、蘇鉄のほうは今も大阪府、堺の妙国寺で生きています。
これが、妙国寺の蘇鉄です。(2011年10月29日撮影)
20130205b.jpg

この蘇鉄が今なお口を聞いてくれたなら、あの日の物語も語ってもらえるでしょうけれど。

 妙国寺に立っていた説明看板の内容を以下に引用しておきます。
機会があればぜひ参拝なさって、語りかけてみてください。



国指定天然記念物 妙國寺のソテツ

 ソテツは九州南部から南西諸島に分布する裸子植物で、昔は鉄蕉・鉄蔦と呼ばれていました。妙國寺の蘇鉄は樹齢1,100年と伝えられ江戸時代の名所絵にも数多く描かれるなど古くから堺の名木として知られていました。
その昔、織田信長がこの木を安土城に移植したところ毎夜「堺へ帰ろう」と呻き泣いたため切り刻まれ、この寺に戻された伝説は有名です。その姿を哀れんだ日珖聖人が植え直し、お経を唱えたところ青い芽が出て蘇生したことから、その後よみがえる鉄蕉が蘇鉄とよばれるようになりました。
 近年樹勢の衰えが目立ち始めたため妙國寺のソテツ再生委員会の指導のもと、国などの補助を得て平成20年度から4年間で「天然記念物再生事業」が実施されました。

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うきき

Author:うきき
戦国に生きた森一族が大好きです。
いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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