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(森長可を指して):
『嗚呼、石身鉄腸の御運強き武将かな』




江戸時代の軍記物『金山軍記』にある一文です。
原文は『嗚呼石身鉄腸の御運の強き武将哉』です。
『石心鉄腸(せきしんてっちょう)』あるいは『鉄心石腸』という四文字熟語があるのですが、ここでは『石身鉄腸』となっています。でも、同じ意味で使っているのでしょう。

【鉄心石腸/てっしん-せきちょう】意味
意志が鉄や石のように堅くて、容易には動かせないこと。強く堅い精神や意志のたとえ。▽「心」「腸」は心臓や腸などの内臓で、心や意志のたとえ。
『goo辞書』より引用


森長可が小山観音(岐阜県美濃加茂市)に参拝しようとした時に川向こうから敵の矢が次々と飛んできたというのに、長可は少しも騒ぎ立てずに しずしずと登山して小山観音に参拝して帰って行ったというエピソードのくだりに『嗚呼石身鉄腸の御運の強き武将哉』が出てきます。
なお、『森家先代実録』には、この小山観音参拝のエピソードは登場しません。
『金山軍記』も歴史資料ではなく、物語として読むべきですが、この手の書物の文章は『『嗚呼石身鉄腸の御運の強き武将哉』』のようにかっこよい表現も多くて、読んでいてとても楽しいです。



小山観音(美浦加茂市観光協会サイト内)
http://minokamo-kanko.jp/html/koyama.html


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10/19|もり語録コメント(0)TOP↑
秀吉:『血気燃え立つようなる若武者の森武蔵守』




 『森家先代実録』に出てくる豊臣秀吉のセリフです。
(私の判断で読みやすいように原文に送り仮名や読み仮名を施したり、漢字もちょっといじっています。
原文では『血気もへ立様なる』です)。もへ~。
 北条氏征伐の帰りにひょっこり現れたダメダメ尾藤甚右衛門智宣を成敗した時に秀吉が語った尾藤はいかにダメな奴かという思い出話のセリフの中にあります。
『…あの尾藤めは、(中略)尾州羽黒にて血気もへ立様なる若武者の森武蔵守にすまじき軍をすゝめて致させ勝利を失わせ候といへども、武蔵守気欝も致すべしと存じ…』

まさに森長可はその表現とおりに『血気燃え立つ若武者』!
アニキはかっこいいんだぞ!
この一文がなんか好きなので掲載してみました。
06/24|もり語録コメント(0)TOP↑

『明智が者と見え申し候』 森乱



 太田牛一の『信長公記』にある『信長公本能寺にて御腹めされ候事』の場面に登場する森蘭丸のセリフです。
『信長公記』では森蘭丸のことは『森乱』と表記されています。

 本能寺を取り巻いて四方から乱れいる明智軍。
その騒がしさを当初は信長もお小姓衆も、下々の者がケンカでもおっぱじめたのかと思いきや、ついには鬨の声があがり、御殿に鉄砲が撃ち込まれます。

信長:『これは謀反か、いかなる者の企てぞ』
森乱:『明智が者と見え申し候』


そしてかの有名な織田信長のセリフ
信長:『是非に及ばず』
が発せられるのです。



是れは謀叛か、如何なる者の企てぞと御諚のところに、森乱申す様に、明智が者と見え申し候と、言上候へば、是非に及ばずと上意候。透をあらせず、御殿へ乗り入れ、面御堂の御番衆も御殿へ一手になられ候。
(※『改訂 信長公記』桑田忠親/新人物往来社を引用)
05/04|もり語録コメント(0)トラックバック(0)TOP↑

時刻到来 『信長公記』より





『信長公記』から蘭丸の言葉を引用しようと思ったのですが、先に『時刻到来』という単語を思いついてしまいました。これは、森一族の誰かのセリフによる「もり語録」ではありませんが、個人的興味で追加させてください。

太田牛一の記した『信長公記』は、織田信長のことを知る格好の史料ですが、その文章の中には牛一の抱く仏教思想も漂い、人が死ぬ場面になると「時刻到来」という記述が出てきます。

いかに栄華を誇った英雄でも天の定めた「時刻が到来」すれば死ななきゃならないようです。

織田信長もその例外ではありません。
光秀軍の本能寺襲来に対しては、信長公自らも弓を携えて戦っていたけれども、『時刻到来候て』___。
この世から離れなくてはならない合図であるかのように、信長が手にしていた弓の弦がブツリと切れてしまったのです。


『信長、初めには御弓を取り合ひ、二、三つ遊ばし候へば、何れも時刻到来候て、御弓の絃切れ、其の後、御鎗にて御戦ひなされ、御肘に鎗疵を被り、引き退き、是れまで御そばに女どもつきそひて居り申し候を、女はくるしからず、急ぎ罷り出でよ、と仰せられ、追ひ出させられ、既に御殿に火を懸け、焼け来たり候、御姿を御見せあるまじきとおぼしめされ候か、殿中奥深く入り給ひ、内よりも御南戸の口を引き立て、無情に御腹めされ
『改訂 信長公記』桑田忠親/新人物往来社を引用)

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『予(よ)が骨肉に お千をすてて外(ほか)になし』
森長可




『森家先代実録』にある一文です。
私の判断で読みやすいように原文に送り仮名や読み仮名を施しています。

 本能寺の変で主君・織田信長、信忠父子と三人の兄弟と信濃四郡の領土を失った森長可ですが、その後は本領の美濃金山に戻り、引き続き織田家に忠誠を誓うということで、末弟の千丸を岐阜城へ人質に出していました。

 しかし、天下の趨勢(すうせい)に伴い織田信雄と羽柴(豊臣)秀吉のどちらに味方するかの選択肢に迫られるようになります。

 森家が羽柴秀吉に味方しようとした時に、では、岐阜城に人質に出した千丸はどうするのだということになりました。家老の居並ぶ評議の場で、義理の兄弟でもある長田又左衛門が
「お千殿をば捨て給え。」
と、千丸を見殺しにするように進言したことに対して、長可の放ったのが上の言葉です。

『可成君御討死、引き続きお蘭とお坊、お力、三人まで討死して日々母公の御目乾くことなし。其上(そのうえ)予が骨肉にお千をすてて他になし。秀吉公に一味して、縦(たとえ)何程(なにほど)立身するとも、一人の弟を捨て殺さん事、母公への不孝といひ、更に心得がたし』

 絶対に承服しない森長可。
結果として、長可にとっては叔父である林為忠が一計を案じて岐阜城へ行き、岐阜城の櫓から千丸を下の布団にダイブさせて奪取して金山に連れて戻ってきます。
 長可は大喜びで千丸の手を取って母に「お千を進ずる」と引き渡しました。
そして、秀吉に味方することを決定しました。
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戦国に生きた森一族が大好きです。
いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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