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 自分の手持ちの資料をブログ上で整理することを兼ねて、『逸話の原文』のカテゴリを追加しました。
とりあえず、初回は森蘭丸が出てくるものをチョイスして掲載してみました。



明智光秀事

『鳩巣小説』に、本能寺にて明智日向守軍勢本堂へどつと押込候時、古堂の事故根太落申候、其時分信長の長刀など数十本本堂の天井に掛居候て、右の響にてことごとく落申候故、先をふまじとて大勢取除など仕候うちにゆとり有之候に付、四方田某と申者、脇入口より槍を提候て押込候故、蘭丸右の手に刀を提ながら、白小袖に髪を修禅寺紙の平元結にて茶筌髪に結候てかけ出、何者に候哉と罵る処を、右の四方田鎗にて突伏申侯、跡より信長白小袖にてねまきの儘にて、何者にやと被申候処、蘭丸、惟任謀反と見へ申候由申候得ば、其儘奥へ御入被成候を、今壱人の敵追かけ候て、後を御見せ申事はきたなく候由詞をかけ申候へぱ、信長見帰り被申、白眼被申候処、右之者矢を放して素肌に射付申候、夫に御構不被成奥へ御入、自害と見へ申候、其儘火手上り申候て致落去候。
四方田某蘭丸首を取り惟任へ見せ申候節、目くらくなりて得と見付不申、ひたと見候て其後蘭丸にて候と馬上にて悦、尻もちつき申候由に候、四方田は後越前へ被抱申候、丹波の士のよしにて候、四方田をヨモタとよみ申候はあしく候、音にてシホウデンとよみ申筈に候、それをシヲウデンと読誤申候、今越前に子孫四王天と書す、右一件松永貞徳が書に戴恩記と申ものに有之侯、実録と見へ申候、本堂に鎗の懸り候て大勢入込候て落申候事、又蘭丸修禅寺紙の平元結など左様に有之事に候、惣て実録はケ様之儀にて知れ申候、明智目くらく成候事天罰と申事に候得共、うろたへし事見へ候、夫が則天罰と存候。
易喜易徳は小益にて候得者、忠を得申事可成申候哉、推ふして心大成にて候。

出典:『一話一言』 太田南畝(1749-1823)

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10/13|逸話の原文(森蘭丸)コメント(0)TOP↑
これもずいぶん以前のものですが、可児市の観光パンフレット(無料配布)に『武蔵が淵』の民話が載っていたので大事に取っていました。


可児市観光協会発行観光パンフレット『歴史が息づくみどりの街 心のふれあう住みよい街 可児』より引用~



可児の民話武蔵が淵

 むかし、沢渡あたりの可児川のそばで『恵土の華』という、評判の酒を造って売る店があった。酒屋の前は尾張へ抜ける栗栖街道で、人の往来も多かったということや。
 ある時、身なりも立派な侍が酒を買いにきたが、そのとっくりは百姓たちが使っておる安物やった。銭もさびて、しめっぽかった。
 それからは毎日のように酒を買いに来た。ある日、さしだしたとっくりは泥でうすよごれとった。奥で洗うふりをしてみると、底にも泥がたまっとるやないか。ふしんに思い、奥で酒造りをしておる男にあとをつけさせた。あとをつけられているとも知らず、どんどん行くうち森の中へ入ったと思ったとたん、姿がみえんようになった。この森の先は、可児川でも一番深て、いつも静まりかえっておる淵やった。やがてその淵のあたりで、
「ドボーン!」
と、大きな音がしたもんで走ってってみると、それはそれは大きなトチが淵の底へ沈んでいくとこやった。
まっ青になった男は、やっとの思いで店へかえり、主人に報告すると、高熱を出(だ)いて寝こんでまった。主人は、
「そうや、あのとっくりは百姓たちが水神様へそなえる、おみきつぼやし、銭はおさい銭にちがいないわ」
 あの侍は、それっきり酒を買いにこなんだ。が、そのうちみょうなうわさがたった。
「水神様の淵にはなあ、タライほどもある大きなトチがおって、酒をもった人が通ると、しらんうちに淵の中へ引っぱりこまれて、二度と出てこれんようになると!」
 こうなると、酒は売れんし、人どおりもないしで、街道はさみしなってまった。
 ある日、兼山城の森武蔵守のけらいで、見回りの役人がやってきて
「水神様の淵に、大きなトチが出てわるいことをするという、みょうなうわさをきいたが」
「はい、おかげでこのとおりなさみしさです」
 あくる日、その役人は二人のけらいをつれてきた。酒屋に酒の用意をさせ、トチ退治に出かけた。
 酒つぼを持って淵のあたりまでいくと、静まりかえった水面が、とつぜん動きだいて、ふらふらと川のほうへ引き寄せられそうになったもんで、あわてて、酒つぼを川の中へ投げてみると、とてつもなく大きなトチが、酒つぼめがけて、浮きあがってきたんや。
「よし!」
と、役人は大きなかけ声とともに、川へ飛びこんだ、と思ったら、もうトチの首を切り落としておった。ふしぎなことに熱を出(だ)いて寝とった男も元気になり、この淵のことを『武蔵が淵』と呼ぶようになった。『恵土の華』も、前よりもよう売れるようになったというこっちゃ。



『武蔵が淵』のお話は、これ以外のパターンもあります。
07/27|森家コメント(0)TOP↑
本棚を整理していたら、大昔の新聞記事情報が出てきたので転記しておきます。
織田信長とその家臣たちの慰安旅行(目的地:推定 下呂温泉)のメンバーに森長可の名前があったので保存していた記事です。
この記事とは別に、後日、下呂温泉パンフで、この内容のPR『織田信長も…森長可も入った温泉』みたいなのをみかけたので、それもどこかに保存していたはずなので、また見つけたら載せてみようかと思います。
穴をガスガス掘ってできた穴ポコ温泉に森長可が入って日頃の疲れを癒しているのを想像するだけでも楽しいですね。



(以下、記事の引用)

信長が家臣とともに”慰安旅行”
『毎日新聞』記事(平成3年12月31日付)

 織田信長が天正六年(一五七八)春に木下藤吉郎や前田利家らの家臣とともに飛騨へ湯治に出かけたことを記録した古文書が関市内の旧家から見つかった。
 古文書は、同市内で書店を経営する羽渕友明さんが保存する「羽渕家家系図」で、鑑定によると江戸時代末期の文化年間に羽渕家当主が書いたもの。
 同家系図の「天正六戊寅春信長公岐阜ヨリ飛州御湯治之節」から始まる記述によると、信長は、岐阜から飛州(飛騨)へ湯治に行く途中で同家で休憩した。主人がお茶を出すと、信長は上機嫌になった。
 森長可、池田勝入、前田利家、木下藤吉郎といった同席家臣の名前も書かれており、その直後に「本能寺御大変残念不少事」と記されている。
 岐阜県歴史資料館の友田靖雄資料課長は「初めて聞く話だ。大変興味深い。このころ家臣を連れ、湯治旅行に行った可能性は十分にある」と話している。 
 湯治先について発見者で関市史編さん委員会の松原久男さんは「岐阜市から関市を通過しているため、下呂温泉」と推測している。温泉のある同県益田郡下呂町によると、同温泉は六世紀初頭に開湯。天正時代は、「湯島」「下留(げる、しものとまり)」と呼ばれ、美濃と飛騨をつなぐ街道沿いの湯治場として広く知られていた。当時は飛騨川の河原に穴を掘っただけの露天ぶろばかりだったという。
 この年、信長は四十五歳。本能寺の変であっけなく亡くなるのは四年後のこと。
 下呂町では「実証できれば、ブームにあやかって”信長の湯”とでも命名してPRしたいですね」と話している。



05/19|森家コメント(0)TOP↑
(森長可を指して):
『嗚呼、石身鉄腸の御運強き武将かな』




江戸時代の軍記物『金山軍記』にある一文です。
原文は『嗚呼石身鉄腸の御運の強き武将哉』です。
『石心鉄腸(せきしんてっちょう)』あるいは『鉄心石腸』という四文字熟語があるのですが、ここでは『石身鉄腸』となっています。でも、同じ意味で使っているのでしょう。

【鉄心石腸/てっしん-せきちょう】意味
意志が鉄や石のように堅くて、容易には動かせないこと。強く堅い精神や意志のたとえ。▽「心」「腸」は心臓や腸などの内臓で、心や意志のたとえ。
『goo辞書』より引用


森長可が小山観音(岐阜県美濃加茂市)に参拝しようとした時に川向こうから敵の矢が次々と飛んできたというのに、長可は少しも騒ぎ立てずに しずしずと登山して小山観音に参拝して帰って行ったというエピソードのくだりに『嗚呼石身鉄腸の御運の強き武将哉』が出てきます。
なお、『森家先代実録』には、この小山観音参拝のエピソードは登場しません。
『金山軍記』も歴史資料ではなく、物語として読むべきですが、この手の書物の文章は『『嗚呼石身鉄腸の御運の強き武将哉』』のようにかっこよい表現も多くて、読んでいてとても楽しいです。



小山観音(美浦加茂市観光協会サイト内)
http://minokamo-kanko.jp/html/koyama.html


10/19|もり語録コメント(0)TOP↑
秀吉:『血気燃え立つようなる若武者の森武蔵守』




 『森家先代実録』に出てくる豊臣秀吉のセリフです。
(私の判断で読みやすいように原文に送り仮名や読み仮名を施したり、漢字もちょっといじっています。
原文では『血気もへ立様なる』です)。もへ~。
 北条氏征伐の帰りにひょっこり現れたダメダメ尾藤甚右衛門智宣を成敗した時に秀吉が語った尾藤はいかにダメな奴かという思い出話のセリフの中にあります。
『…あの尾藤めは、(中略)尾州羽黒にて血気もへ立様なる若武者の森武蔵守にすまじき軍をすゝめて致させ勝利を失わせ候といへども、武蔵守気欝も致すべしと存じ…』

まさに森長可はその表現とおりに『血気燃え立つ若武者』!
アニキはかっこいいんだぞ!
この一文がなんか好きなので掲載してみました。
06/24|もり語録コメント(0)TOP↑
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うきき

Author:うきき
戦国に生きた森一族が大好きです。
いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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