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『太閤記銘々伝』という1878(明治11)年の書物にちょっといい感じの画風で森家の方々が登場していたのでお話のネタにご紹介します。この挿絵は浮世絵師の歌川芳春によって描かれました。


書籍データ
タイトル:『太閤記銘々伝』
著者:綱島亀吉
イラスト:朝香楼(歌川)芳春
出版年 1878(明治11)年



まずは、森可成父さん。安定感ハンパないです。
20160710-1.jpg


次は森長可アニキ。モテ男の必須アイテム「敵首」持参中。
20160710-2.jpg


森蘭丸2点セット。
光秀のもとどりをムンずとつかみ、鉄線で顔面を打ちすえ中。
20160710-4.jpg
目つきがちょっと怖いけど、お取り込み中(本能寺の変)だから仕方ないよね。
20160710-6.jpg


そして森坊丸(仿丸になってるけど)。気になる髪型。そしてこれは怒っている人の目だ。
20160710-5.jpg



番外編で坂井久蔵。蘭丸の姉・鴻野さまの元フィアンセ。これは敵の頭に刀をぶっ刺してそのまま首を「ブチッ」と引きちぎっているのでしょうか?
20160710-3.jpg

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07/10|森家コメント(0)TOP↑
ほとんど自分用の備忘録です。(^_^;)

現在、長野市立博物館で開催中の企画展『川中島を行きかった武将たち』(2016年4月23日(土)- 6月5日(日))にあわせて刊行された図録『海津城の主たち』を入手しました。
その中で私が気になったこと、参考にしようと思ったことをここにメモしておきます(ただし、イケメン森家の事柄に限る)。

鶴ちゃんの、あっちむいてホイ!!
図録は森家の鶴丸紋が逆向き表示(鶴ちゃんが右むいちゃってます)になっていたりします。
該当ページは今ならPDFで閲覧できます。長野市博物館さんサイト→『海津城の主たち』目次
ぐはっ!何かのミス?!見ていて何か落ち着かない!!!
同じページに描かれている上杉家や松平家や真田家の家紋は左右対称なので、間違って家紋が反転されていても森家にしか影響しないという…クッ!
森家の鶴丸紋は、2匹の鶴を向かい合わせた状態にして描かれることもあるため、『右向け右!』パターンも、あるといえばあるのですが、通常は左向きです。単体で登場した場合は鶴ちゃんは常に左向きです。昔は「左」を「右」よりも上位に置く認識だったから左向きがスタンダードなのかなーとか勝手に思ったりしてます(←私の思い込みであり、嘘かもしれません。)

森長可さんにも、あっちむいてホイ!!
また、『海津城の主たち』の中にある「海津城の城主ほか変遷」の欄の『森長可』は『本能寺の変で逃げ帰る』とかいう一言で終わってました。
もっと森家に愛を注いでください長野県民…。
森長可は誰にでも優しく(好きな相手限定、あとは死ね)立派な武将なんですよ…。

森忠政の待望の城
海津城は現在の「松代城」という城名になるまで色々とネーミングを替えられています。

海津城(武田信玄が命名。)

待城(森忠政が命名)

松城(松平忠輝が命名)

松代城


この件についても図録に触れてありましたので引用しておきます。


(以下、『海津城の主たち』より引用)
・永禄ノ初、新城ヲ築テ海津城ト名ク、慶長ノ初メ待城、又、松城ト改ム、正徳以降松代ノ字ヲ用ウト云 『松代地誌稿』

・武田信玄は城を造り、その名を海津城とした。その後、慶長の初めには城の名前を「待城」もしくは「松城」としたという。そして江戸時代の正徳年間には、「松代」と地名が変わり、城の名は「松代城」となったというのである。城の名である「待城」「松城」がどこに由来するのかは諸説ある。戦国時代に使われていた「海津」の地名が江戸時代になって城の名とともに「松代」にかわったということができる。

・森忠政は、兄の森長可が織田信長のもとで海津城に入ったが、夢を果たせずに退去したことに鑑みて、待ちに待った城という意味で、「待城」と名づけたとされる。

・松平忠輝は松平の城という意味で、「待城」を「松城」にしたという。

(以上、引用終了)



森忠政が海津城を「待城」と改めたというのは上記の説のほかに、
「領民は我(憎き森長可の弟)がくるのを待っていただろうから。」
とかいう意味合いだったという説もあります(中二病とか謂うなかれ)。

先日、津山の森家関係の方とお話していて、面白いお話を伺いました。
「『待城』の改名は、森忠政が徳川からの恩賞を『待ってる』っていう、徳川に向けたメッセージだったのではないのでしょうか。実際に森忠政は関ヶ原の合戦(慶長5年・1600年)が終わって美作国を拝領するまで(慶長8年・1603年)恩賞をもらえないまま川中島でそのままにされていたのですから…。」
そういえばそうだな、関ヶ原に行きたくて行きたくてたまらない森忠政を
「大丈夫だから」
「親父(家康)にもちゃんと言っておくから大丈夫だから」
と徳川秀忠に諭されて、そのまま真田の押さえとして信州に取り残されてましたっけ…。そしてさらにそのまま…放置プレイだったのか…。
このお話、なんだかすごく説得力があると思ってすごく心に残っております。
また、「待城」については「たいじょう」という「ふりがな」を振られることが多いので何度かこのことについで森家仲間の間でも話題になりましたが、森忠政の「待ってた」理論と、のちに松平がこの城を「松城」と漢字変換したことも考えれば素直に訓読みで「まつしろ」でよろしいのではないかと考えています。

国宝に森長可?!上杉景勝書状
『海津城の主たち』図録には
「29 上杉景勝書状 米沢市上杉博物館蔵 国宝」
の書状が掲載してあります。
図録をスキャンしてここに掲載すると犯罪者になってしまうので、所蔵先の米沢市上杉博物館サイトにあった書状のリンクを掲載しておきます。


[伝国の杜]米沢市上杉博物館(外部リンク)
【国宝】上条冝順宛 上杉景勝書状 上杉景勝 天正10年(1582)4月3日 (外部リンク)


この書状について図録『海津城の主たち』の解説には
『天正十(一五八二)年四月三日付の書状。上杉景勝が上条宜順に対して諮問したもの。内容は、天正十年に織田信長の軍として森長可が北信濃を占領したが、長沼城のことや越中の須田満親が撤退を余儀なくされた状況にあることをふまえ、その備えをどうするかを尋ねる。』
と、あったので、国宝の書状に森長可のことがっ???!!!
と一瞬は興奮しましたが、書状の中には「森長可」の名は直接には書いていないようですね。
書下し文は『信濃史料』にありました。
『信濃史料 巻十五』上杉景勝書状 長沼城ノ武主ヲ諮ル

あ、図録『海津城の主たち』は郵送してもらうことも可能です。

長野市立博物館(外部リンク)
長野市立博物館企画展『川中島を行き交わった武将たち』(外部リンク)


それにしても、やっぱり鶴丸紋が右向きなのが気になります…。
05/08|雑記コメント(0)TOP↑
『尾張名所図会 前編 五巻』に掲載されている『長湫(ながくて)古戦場』の絵です。
『尾張名所図会』は天保15年(1844年)に発行された尾張の名勝旧跡を紹介した地誌です。

クリックで画像を拡大できます。
オリジナルサイズの画像は文字が読めるようなサイズでアップロードしたのに勝手に縮小されてしまうので、結局見づらいです。
owariBig.jpg


長久手の合戦で討死した森長可の死地に建立された『森武蔵塚』も描かれています。
owari37a.jpg

岳父・池田恒興の『池田勝入塚』とその息子・之助の『池田紀伊守塚』もあります。
owari37b.jpg


05/14|森家コメント(0)TOP↑
名古屋市博物館の企画展で「森長可遺言状」が出品されているそうです。


企画展 エピソードでたどる書の散歩道
Walking with Calligraphy

http://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/special/past/tenji150228.html

《企画展内容》
上記リンク先より引用

会期:2015年2月28日(土)~4月5日(日)
休館日:毎週月曜日と第4火曜日(3/2・9・16・23・24・30)
開館時間:午前9時30分~午後5時(入場は午後4時30分まで)
主催:名古屋市博物館
観覧料:一般 300円(400円) 高大生 200円(300円) 中学生以下無料

戦国武将の遺言状
<「森長可(ながよし)遺言状」>


引用終了



最近は「森長可遺言状」で通しているのですね、いつから、『森長可遺言状』としなくなったのだろう…。清書じゃないと思うんですが(^_^;)
03/11|お役立ちコメント(2)TOP↑
目下、森家の資料を整理中なのですが、今日手にした資料に小松寺(愛知県小牧市)の禁制札の写真が載っていたのでここに内容を書き出しておきます。

これは小牧長久手の戦いの折の禁制札です。
お寺が軍に荒らされないように、小松寺が森長可にお願いして軍への禁止事項を書いてもらったものです。



禁制    小松寺

一、当手軍勢乱妨狼藉之事
一、放火之事
一、山林竹木伐取之事

右條々堅令停止訖若
違背者於在之者速可處
罪科者也仍如件

天正拾弐
三月廿七日 長可(花押)





森家の下知した禁制の一覧を作りたいと前々から思っているのですが、全然手を付けていません。(^_^;)
目につき次第どんどんブログにアップしていって後で一覧を作ることにしました。
02/11|森家コメント(0)TOP↑
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うきき

Author:うきき
戦国に生きた森一族が大好きです。
いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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