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『太閤記銘々伝』という1878(明治11)年の書物にちょっといい感じの画風で森家の方々が登場していたのでお話のネタにご紹介します。この挿絵は浮世絵師の歌川芳春によって描かれました。


書籍データ
タイトル:『太閤記銘々伝』
著者:綱島亀吉
イラスト:朝香楼(歌川)芳春
出版年 1878(明治11)年



まずは、森可成父さん。安定感ハンパないです。
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次は森長可アニキ。モテ男の必須アイテム「敵首」持参中。
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森蘭丸2点セット。
光秀のもとどりをムンずとつかみ、鉄線で顔面を打ちすえ中。
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目つきがちょっと怖いけど、お取り込み中(本能寺の変)だから仕方ないよね。
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そして森坊丸(仿丸になってるけど)。気になる髪型。そしてこれは怒っている人の目だ。
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番外編で坂井久蔵。蘭丸の姉・鴻野さまの元フィアンセ。これは敵の頭に刀をぶっ刺してそのまま首を「ブチッ」と引きちぎっているのでしょうか?
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07/10|森家コメント(0)TOP↑
『近江輿地誌略(おうみよちしりゃく)』にある森家関係の項目の抜き書きです。

『近江輿地誌略(おうみよちしりゃく)』とは、膳所(ぜぜ)藩士であった寒川辰清が藩主・本多康敏の命をうけて編纂した地誌で、享保19(1733)年に完成したものです。
以下、『近江輿地誌略(おうみよちしりゃく)』より引用。

〔宇佐山城跡〕
宇佐山は錦織村の西にあり。宇佐八幡社あるを以て其號となす。此古城址二町四方許、山上に樓臺等の址顕然たり。土俗云ふ鈴木三左衛門居城の址なりと、臣按ずるに非也、元亀元庚午年五月九日信長暇を義昭に告げ京を出でゝ近江に到り、城を宇佐山に築き森三左衛門可成をして之を守らしむ。浅井長政、朝倉義景等之を攻む。同九月可成戦死の後、其臣武藤五郎右衛門及肥田玄蕃等暫く在城すと雖も戦死して遂に落城せり。 森三左衛門の事跡は坂本来迎寺の條下に記す。
〔森三左衛門墓〕
来迎寺境内にあり。森三左衛門尉源可成の墓なり。法名・心月浄翁居士といふ。嘗て可成、元亀元年九月二十日坂本合戦の時瀬戸在家の邊にて戦死す。来迎寺の住僧眞雄上人遺骸を此寺に瘞む。瀬戸は東南寺の邊をいふ。三左衛門可成は美濃蓮臺の郷士越後守重可が子也。されば朝倉の大勢宇佐山へ攻めかゝる堅田の城より織田九郎信治城主青地駿河守泰資、宇佐山の後詰せんと馳せ向ふ。三左衛門信治を打せてかなはじと打て出で朝倉勢と挑戦、朝倉孫三郎景健、山際より横鎗についてかゝる。浅井石見守・大野木土佐守長濱より渡海し是も横鎗に攻掛りければ、・織田・青地以下、前後の敵に包まる。森三左衛門今は是までと北庄土佐守景行が備へに駈入り、遂に石田十蔵が為に打たる。織田九郎にも大陽寺右馬介景春が陣に駈入り、五十嵐小太郎と指違へて死す。青地駿河守は浅井長政が備への前にて戦死せり。
〔安土古城址〕
安土山に在り。安土山高さ二町許、廻り一里半余、頂上に天守あり、今に其跡石垣等の跡顕然たり。本丸二ノ丸三ノ丸等間数高低詳に知れがたし。家康公及羽柴秀吉・武藤助左衛門・青木加賀右衛門・中條将監・武井肥後・織田信忠・長谷川竹・織田七衛・森蘭丸・福富平左衛門・市橋九郎左門・菅谷九右衛門・堀久太郎等が屋敷跡在り。安土山の内に薬師山・笛吹尾・源左衛門鼻・梅ケ谷・あみが鼻・われ尾・永尾等云ふ処あり。悉く書し難し。抑此城は織田信長下知して惟任五郎左衛門長秀奉行す。
〔桐原郷(きりはら)〕
安養寺村・東村・古川村・森尻村・中小森村・池田村・竹川村、以上七村をいふ。
〔薬師村〕
七里村の東にあり、小口村より六七町北也。昔は薬師寺とて大寺これあり、坊も六坊ありといふ。今僅かに一坊を存す。

以上、引用終了。

管理人の補足です。
〔宇佐山城跡〕宇佐山城は落城していないのに「落城せり。」と書いているし、武藤五郎右衛門や肥田玄蕃らも戦死していないのに「戦死して」しまったことになっているなど、文中には間違いもありますがそのまま書き出してみました。
〔森三左衛門墓〕森可成は比叡辻で戦死していたとされますが、ここでは「瀬戸在家の辺=東南寺あたりで死んでた」とピンポイントで書いていますね。いちおう、比叡辻の道筋にあたりますね。 瀬戸在家の辺り・・という情報は現地の人に伝承の聞き取り調査でもした結果でしょうか?何も書いていないので信憑性はわかりません。(^_^;)謎
〔桐原郷〕〔薬師村〕は森蘭丸の所領の一部です(残りの所領「西山上」と「須恵田」の記述は見つけきれず)ので、ついでに書き出してみました。





05/29|森家コメント(0)TOP↑
 自分の手持ちの資料をブログ上で整理することを兼ねて、『逸話の原文』のカテゴリを追加しました。
とりあえず、初回は森蘭丸が出てくるものをチョイスして掲載してみました。



明智光秀事

『鳩巣小説』に、本能寺にて明智日向守軍勢本堂へどつと押込候時、古堂の事故根太落申候、其時分信長の長刀など数十本本堂の天井に掛居候て、右の響にてことごとく落申候故、先をふまじとて大勢取除など仕候うちにゆとり有之候に付、四方田某と申者、脇入口より槍を提候て押込候故、蘭丸右の手に刀を提ながら、白小袖に髪を修禅寺紙の平元結にて茶筌髪に結候てかけ出、何者に候哉と罵る処を、右の四方田鎗にて突伏申侯、跡より信長白小袖にてねまきの儘にて、何者にやと被申候処、蘭丸、惟任謀反と見へ申候由申候得ば、其儘奥へ御入被成候を、今壱人の敵追かけ候て、後を御見せ申事はきたなく候由詞をかけ申候へぱ、信長見帰り被申、白眼被申候処、右之者矢を放して素肌に射付申候、夫に御構不被成奥へ御入、自害と見へ申候、其儘火手上り申候て致落去候。
四方田某蘭丸首を取り惟任へ見せ申候節、目くらくなりて得と見付不申、ひたと見候て其後蘭丸にて候と馬上にて悦、尻もちつき申候由に候、四方田は後越前へ被抱申候、丹波の士のよしにて候、四方田をヨモタとよみ申候はあしく候、音にてシホウデンとよみ申筈に候、それをシヲウデンと読誤申候、今越前に子孫四王天と書す、右一件松永貞徳が書に戴恩記と申ものに有之侯、実録と見へ申候、本堂に鎗の懸り候て大勢入込候て落申候事、又蘭丸修禅寺紙の平元結など左様に有之事に候、惣て実録はケ様之儀にて知れ申候、明智目くらく成候事天罰と申事に候得共、うろたへし事見へ候、夫が則天罰と存候。
易喜易徳は小益にて候得者、忠を得申事可成申候哉、推ふして心大成にて候。

出典:『一話一言』 太田南畝(1749-1823)

10/13|逸話の原文(森蘭丸)コメント(0)TOP↑
大昔に購入したプレジデント誌を読みなおしていたら、私にとって初めて見るような話が書いてあったので自分用のメモでここに貼っておくことにします。
Σ(゜□゜;



以下、『プレジデント1992年2月号』
「信玄と謙信(作家:小林久三)」”森蘭丸の本当の役割とは”から引用


 信長の資金源はおそらく濃飛一帯の金山であったのだろう。本能寺の変で、信長に殉じた森蘭丸は美濃金山の城主であった。濃飛両国の境に位置する美濃金山は、古代から金を産出していたことは、「延喜式」にも記されている。また乗鞍岳も古名は阿宝山(あわやま)と称し、鉄、金銀の産地だった。
 江戸中期に、古代からの産鉄の方法やしきたりを、みずからタタラ作業に従事した体験とともに、「鉄山秘書」を書いた下原重仲は、森蘭丸の弟で、津山藩主だった森忠政の孫の系列に属する人物である。
 森氏は、産鉄・金工族とみられ、森聞丸は信長の産金を担当するとともに、鉄を管理していたともみられ、その意味では、彼を信長の単なる寵童とする見方は、修正する必要があるだろう。甲斐や越後の産金量の情報を捕捉して、信玄や謙信を、信長の最大のライバルとしたのは、もしかすると森蘭丸かもしれない。
(以上、引用終了)



当時の美濃金山を含む濃飛一帯って織田信長を潤すほどにゴールドラッシュだったの(初耳)?
森蘭丸は美濃金山の城主…って言いきられてるし、森氏は産鉄・金工族とはどこから出てきた話し(初耳)?
蘭丸が鉄を管理?!アイアム・アイアンマン?
下原重仲が津山藩主だった森忠政の孫の系列に属する人物(初耳)?

私が無知なだけかも知れませんが、森家やその周辺の記録にはまったくない話しだと思いますし、ここに出された内容の根拠に見当がつきませんでした。いや、本当に私が無知なだけなのかも知れませんけど…。
「延喜式」に美濃金山が金の産出地だったという記述があるのかも含めて、いつか時間がある時に調べてみたいと思います…ご本人に確認できれば一番ですが、これを書かれた小林さんは既に故人なんですね(涙)。

ああ、森蘭丸は今日も砂浜で磁石をひきずって砂鉄採り…(変な想像)。


07/31|雑記コメント(0)TOP↑
 先日、実家から持って帰ってきた森家グッズの一つです。
たしか、岩村城跡内にあるお店「蘭丸」(現在は閉店)で購入しました。
今もどこかで売っていればいいのですが…もっと種類が豊富だったりとかして…(未確認)。



岩村城のキーホルダーその1

(表面):3D森蘭丸のりりしいお顔がいいですね。鼻がすれて黒くなっちゃった…。
20140609a.jpg

(裏面):岩村の地図のようなもの
20140609b.jpg


岩村城のキーホルダーその2

(表面):森蘭丸のシルエット
20140609c.jpg
(裏面):やっぱり岩村の地図のようなもの
20140609d.jpg






06/09|森家コメント(0)TOP↑
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戦国に生きた森一族が大好きです。
いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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