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千利休から森伝兵衛可隆(森蘭丸の長兄)に宛てたと推定される書状の画像です。


「画像提供:東京国立博物館」 http://www.tnm.jp/

「森伝あて」千利休書状 東京国立博物館
(全体)http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0086813
c0086813S.jpg

(本紙) http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0086814
C0086814S.jpg



日付不明 「森伝あて」千利休書状 東京国立博物館所蔵

茶杓貴所之御用を申候間
此者に壱ツ進之候我等
取ておき申候又此きんらんの
袋を慶様へ被参て可被下候
              かしく

「封」森傳公 まいる 机下 宗易




(読み)
茶杓、貴所の御用を申し候間、此(こ)の者に壱(ひと)つ之(これ)を進じ候、我等取りて置き申し候、又、此の金襴の袋を慶様へ参らせられて下さるべく候、かしく
森伝公 まいる 机下 宗易


(意味)
茶杓が必要とのことですので、この者(使者)に持たせ、一つ進上いたします。これは、私の取っておきのものです。また、この金襴の茶入袋を慶様に差し上げてください。



天亀元年に千利休(=宗易)が森傳兵衛可隆(=森傳公)に宛てたとされる手紙です。
森可隆はかねてより利休に茶杓を所望していて、利休よりとっておきの茶杓をもらっていることがわかります。
「かしく」は手紙の末尾に用いる挨拶の語。
「まいる」はここでは航空会社のマイレージプログラムの意味ではなく、上位者に対して、”この手紙をさし上げます”の意で手紙の脇付に用いる語。
また、「机下」は手紙の宛名に書き添えて敬意を表す語です。

なお、『利休の手紙-増補版』小松茂美氏(小学館)の解説によれば、文中の「慶様」からは、堺・禅通寺の宗慶首座(慶蔵主・慶首座)、あるいは堺町衆の奈良屋慶西が連想されるとのことですが…私には彼らと森可隆との関係性がよく判りません。

森可隆(1552-1570)は、元亀元年(1570)に父・可成とともに織田信長の朝倉攻めに従軍して越前の手筒山城攻めで数え十九で命を落とすことになります。その短命さゆえにその記録や生きた証となるものはほとんど残されておらず、そのうえでこの書状は(本当に森可隆宛てだったら)森可隆の人となりを示す貴重なものです。
森家のバイブル『森家先代実録』においては”合戦に朝寝坊した”なんて本人的には言わんで欲しい情報は残されちゃったのですが、一方ではこの書状で伺い知れるように、(本当に森可隆宛てだったら)森可隆兄さんはティーンにして茶人・千利休(当時49歳)と交流する、いわゆる『茶の心を知る人』だったのです。



参考文献:『増補版 利休の手紙』小松茂美 日本アート・センター編集 小学館

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