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このたび、岡山県津山市の「鞍懸寅二郎研究会」の皆さんが幕末の津山藩士・鞍懸寅二郎(もと赤穂藩森家藩士→のちに津山藩松平家に仕官)の功績をまとめた本を出版なさいました。

1冊税込み1500円です。
購入については津山市内の本屋さんでも販売予定だそうですが、事務局の本源寺さんへのお電話でもOKとのことです。



2021331s.jpg


『没後百五十年 史料が語る 津山藩士 鞍懸寅二郎』
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2021年3月31日発行
【編集】鞍懸寅二郎研究会
【発行】森忠政公報恩会
A4サイズ
195ページ
『史料編』DVDつき

価格1500円(税込み)
事務局 本源寺(TEL:0868-22-7351 津山市小田中1373)

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以下、出版に関して山陽新聞の記事を引用
※実際に出版されたのは2021年3月31日です)
(※実際の販売価格は1500円だそうです)


(引用開始)
津山藩士・鞍懸寅二郎 功績知って 研究会が10月に本出版

 明治維新の際、津山藩松平家で明治新政府との衝突回避に尽力した藩士の鞍懸寅二郎(くらかけとらじろう、1834~71年)の顕彰に取り組む「鞍懸寅二郎研究会」は、功績をまとめた本を10月中旬に出版する。今年、150回忌の節目を迎えたのに合わせて企画した。

 研究会は寅二郎の墓がある本源寺(津山市小田中)の華山義道住職(49)が多くの人に功績を知ってもらいたいと呼び掛け、市内の郷土史家や歴史愛好家らで昨年5月に発足した。本源寺は津山藩森家の菩提寺(ぼだいじ)で、初代藩主森忠政(1570~1634年)を顕彰している森忠政公報恩会が協力。報恩会の副会長で郷土史家の竹内佑宜さん(73)=同市=が研究会の会長に就き、現在は15人で活動している。

 研究会は2カ月に1回程度の会合を開き、本の内容を精査。森家の後に藩政を担った松平家に仕官して活躍した寅二郎の生涯をたどり、徳川親藩だった津山藩で藩論をまとめたことや、新政府で国内行政を担当する民部省へ出仕したことなどを盛り込む。昨年12月に新たに見つかった直筆の日記や書状などの史料も内容に反映している。本は1500部作成し、1冊千円で市内の書店などでの販売を予定している。

 新たに見つかった史料約100点は本源寺に寄託されており、竹内会長は「出版を機に、寅二郎の功績を広める活動をさらに加速させたい。寄託された史料を展示し、多くの人に見てもらう場をつくれれば」と話している。

 出版の他、報恩会が準備している寅二郎の記念碑建立や、今月下旬に本源寺で予定していた150回忌記念法要と記念碑除幕式は、新型コロナウイルスの感染拡大を受け延期。来年9月下旬に改めて記念法要や除幕式を行う。

 鞍懸寅二郎 赤穂藩の下級藩士の家に生まれ、勘定奉行を務めた。1862年に津山藩松平家へ仕官。渉外を担う国事周旋掛を拝命し、津山藩領だった小豆島沖の英国船上で船員の銃が暴発して島民が死亡した事件(64年)では、当時としては異例の賠償金を勝ち取り、全国に名を知らしめた。明治維新の際は、藩主慶倫(よしとも)の上洛(じょうらく)に尽力。71年8月に何者かに銃撃された。享年38歳。

2020年9月 2日 14:47
記事提供:山陽新聞社


(引用終了)
関連ニュースリンク
『津山藩士・鞍懸寅二郎 功績知って 研究会が10月に本出版』(山陽新聞デジタル|さんデジ)

『発見 津山藩士・鞍懸寅二郎の史料 直筆日記や写真原本など100点』(山陽新聞デジタル|さんデジ)

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03/31|イベントコメント(0)TOP↑
この記事は、以前ご紹介した逸話
蘭丸君の逸話「まん、まん」 その1 
の続きの記事になります。原文はそちらの記事でご確認ください。


現代語訳は下方にあります。
くどくどとした前置きがお嫌いな方は、下のほうまでスクロールしてご覧ください。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

(くどくどとした前置き)
細かい解釈に色々ととまどってしまい、現代語訳が遅くなってしまいました。
原文の
『何(なに)となく暁の衾(ふすま)の上、宵の御枕の下ゆかしくたはれたる心にや』
『本能寺の逆乱に死を先にして名を残す』

の二か所の部分が特にわからず、どう訳したものか困っていたところです。
現役の高校教師(国語)の先輩にも教えを乞いつつ、なんとか結論を出しました。
『暁の衾の上、宵の御枕の下』という表現ですが、結局は他の文献での使用例を見つけることができませんでした。でも、言いたいことは『寝ても覚めても森蘭丸』『朝な夕な常に森蘭丸』っぽいことなのだろうというのはひしひしと感じます。
思うに当時のオサレな表現方法だったのでしょう。
あ、衾(ふすま)というのは昔スタイルの掛け布団のことでして、いわゆる部屋と部屋を仕切る建具である『襖(ふすま)』のことではありません。娘さんが襖(ふすま)を取り外して乗っかってクロールしながら「はぁあああああ、らんまるぎみ~」と、恋のサーフィンをしていた訳ではないのです。「まん」さんは、自分に芽生えた感情が「恋」という名のつくものであることをやっと自覚できたような、初々しく純粋な娘さんです。

『本能寺の逆乱に死を先にして名を残す』は、すごく単純な表現なのに解釈がわからなくて、私もふすまの上でジタバタとクロールしておりました(比喩)。
先輩によれば
「死を先にして(まず死んだことによって、その結果)名を残す」
という解釈だったので、この流れに身を任せてそのように訳すことにしました。
先輩にはお礼に源氏物語シールと仏像シールを差しあげました。(要らない情報)。

前置きが長くなってしまいましたが、現代語訳してみました。
訳がおかしいと思われる部分がございましたら、ご教示いただけるとありがたいです。
(くどくどとした前置き終了)



《訳文》
森武蔵守長可は濃州(美濃国)の金山に在城し、弟の蘭丸長定も同居している。
金山のある町人の娘が病気になり、臨終のときに密かに言う。
「恥かしいけれど最期だから申します。そうはいっても叶わぬことなのだけれど、私は蘭丸君(ぎみ)の世にも妙(たえ)なるお姿を遠くからだけども拝見して、なんとなく寝ても覚めても常にあの方が慕わしく感じられます、私は恋に浮かれる気持ちになっているのでしょうか。」
これもまた人に言わないでと言って横になる。
ちょうどその時、蘭丸は野へおいでになる道でこの事を聞いて、小鷹を手に据えてかの町人の家にお入りになり、娘が伏せっている所へ入って
「まん、まん。」
と、お呼びになれば、娘は顔を上げて息も絶え絶えに「あっ。」と答える。
蘭丸が
「早くよくなっておくれ。私は必ずお前の力になるよ。ではまたすぐに来るから。」
と言ってお帰りになると、娘はそれと同時に死んでしまったということだ。
この娘は名を『まん』と言うとのことだ。
この蘭丸長定は森三左衛門可成の次男で、十五にして信長公に仕え、その恩寵ぶりは他の者に異なった。濃州岩村五万石の城主となる。若手にして勇智があり、本能寺の逆乱で死に、それにより名を残した。


先輩:「これ、蘭丸が町娘にとどめを刺してない?」


ノン!
…これはあくまでも蘭丸の”情の深さ”を味わうべき逸話なのであります。
森蘭丸ってお人は驕(おご)ったところがまったくなく、身分が下の者に対しても本当に心優しく丁寧で、純粋な部分を持ちあわせた立派な若者なのだと、この逸話が教えてくれます。

11/25|逸話の原文(森蘭丸)コメント(0)TOP↑
以前このブログで紹介した問題(森蘭丸の未知の逸話なのに古文書が破損しすぎて何と書いてあるのかわからない悲劇)が解決したのでご報告です。

参考ページ
木々寸物語 ~蘭丸君の世にたえなるお姿より~

この『木々寸物語』の著者ではないかとされるのが、江戸中期の岡山藩士(池田家家臣)・斎藤忠時さんです。
彼の別の著作本である『木村咄』(きむらばなし・宮内庁書陵部所蔵)には、この蘭丸の逸話も掲載されていました。
(※宮内庁書陵部庁舎までおでかけして内容を確認してお知らせくださったT様には本当にお世話になりました。)
そして、『木村咄』のもう一人の著者が木村昌明さん。
この人物は森家のお話満載の『武家聞伝記』の作者でもある森家の家臣です(津山森家~赤穂藩森家時代)。
どういったいきさつでこの『木々寸物語』と『木村咄』の2冊が成立したのかはよくわかりませんが(書いてなかった)、内容からするにこの2人が調査して知った話(本能寺の変から長久手の戦いにいたるまでの詳細)を書き出してまとめたもののようです。
(※なお『木々寸物語』は、『木木寸物語』→『木村物語』というように、タイトルに木村昌明が暗示されているようです。このことに気づいてご教示くださった名探偵T様には本当に、本当にお世話になりました。)

まずは、その新たにわかった森蘭丸の逸話の内容をお伝えします。
なお、句読点は管理人の判断でほどこしました。



《原文》
一、森武州長可濃州金山在城、舎弟蘭丸長定同居、金山のある町人の娘煩出し今を限の時密に云、恥かしけれとも命限なれハ申す、扨も不及事なれとも蘭丸君の世に妙なる御形乍余所見参らせ何となく暁の衾の上、宵の御枕の下床敷たハれたる心にや是又人に語るなと打伏たり折節蘭丸野へ出給ふ道にて聞之、小鷹を据、彼町人の家に入給ひ女の伏所へ入、まんまんと呼給へハ、顔持ち上て息の下よりあつと答ふ、煩早クよくなれ我必す汝をて遣(使)、又頓てとて帰給ふと一同に死入しとそ、此女名をまんと云しとそ、此蘭丸長定ハ森三左衛門可成の次男十五にして信長公に仕へ恩寵他に異也、濃州岩村五万石の城主たり、若手にして勇智あり、本能寺の逆乱に死ヲ先にして名を残す


《読み下し文》
一、森武州長可、濃州金山在城、舎弟蘭丸長定同居。金山のある町人の娘煩(わずらひ)出し今を限りの時密(ひそ)かに云、恥かしけれども命限りなれば申す、扨(さて)も及ばざる事なれども蘭丸君の世に妙なる御形、余所(よそ)ながら見参らせ何となく暁の衾(ふすま)の上、宵の御枕の下ゆかしくたはれたる心にや、是又人に語るなと打ち伏したり折節蘭丸野へ出給ふ道にてこれを聞き、小鷹を据え、彼町人の家に入り給ひ女の伏所へ入り、まんまんと呼び給へば、顔持ち上げて息の下よりあつと答ふ。煩早くよくなれ我必ず汝をて遣(使)、又頓(やが)てとて帰り給ふと一同に死入しとぞ。此(この)女名をまんと云しとぞ。此(この)蘭丸長定は森三左衛門可成の次男十五にして信長公に仕へ恩寵他に異なり、濃州岩村五万石の城主たり、若手にして勇智あり、本能寺の逆乱に死を先にして名を残す。


《メモ》
濃州:美濃国
余所(よそ)ながら:遠く離れていながら
衾:ふすま、よぎ、ねまき。昔スタイルの掛け布団。
床敷:ゆかしく。心ひかれる、慕わしい。
たはる:色恋におぼれる
小鷹を据え:小鷹を拳(こぶし)の上にとまらせる。
伏所(ふしど):寝所。ねどこ。
手遣(てづかい):手はず。手配。(もしかすると別の意味の言葉かも知れません。)
次男:蘭丸さんは次男じゃなく、三男です。(早くに討死した長男・可隆を無視して蘭丸が次男としてカウントされることは古文書においてよくあります。)



現代語訳はまた次回ご紹介します。
実は細かい部分の解釈に悩んで手こずっているのであります(私の力不足です…)。
この逸話の内容を簡単に説明すれば、森蘭丸を遠くから見て恋に落ちてしまった金山の町娘「まん」が死にかけていて、それを聞き知った蘭丸(with 小鷹)がお家まで行って寝室にあがりこんで「まん」を見舞ってあげた話です。

「まん、まん、わずらい早くよくなれ。」

森蘭丸はとても優しい青年です。


08/29|逸話の原文(森蘭丸)コメント(4)TOP↑
自分用メモ。行かねば。入らねば。

湯原温泉(岡山県真庭市)


温泉寺文書
湯本にあった温泉寺(薬師堂が温泉街に残っている)文書の中に「慶長十七年に湯本村の美甘宗玄が森忠政の許しを得て温泉を開き、薬師堂を建立した。宗玄は久世町薬王寺の檀家なので、薬王寺の末寺として温泉寺と名付けた。棟札は慶長十七年、願主・宗玄」とある。また、「本尊は薬師如来であり、開祖は美甘惚兵衛、慶長十一年成就」(『湯原町史』から)とある。
江戸期から温泉の元締めをしていた湯本屋の美甘家に残る森忠政の温泉免許文書にも、「湯本請所(温泉のこと)について申し付ける。他国の者が出入りするので、諸事みだりなくするよう心得ること。当年中の請所の運上銀(税金)は、二百七十目。湯本村、惚兵衛、慶長十七年(一六一二)」と記され、温泉の起源について触れている。

(元禄の資料が示す伝承)
慶長年間になり、森忠政は(宇喜多秀家の造った)湯場を修復して訪れた。二代目藩主の長継も新たに修理した。また、その子忠継もたびたび湯治に訪れた。

『昭和40年にたどった大山道』小谷善守 津山朝日新聞社 より引用




露天風呂 砂湯(すなゆ)
砂湯はもともと平安中期の僧侶によって開かれ、初代津山藩主・森忠政が川底から湧き出る泉源を石で囲って湯船を造ったと伝えられています。

湯原温泉「菊の湯」サイト様より。
http://www.yubara-kikunoyu.com/sight/yubara_onsengai.html


11/22|メモコメント(0)TOP↑
『太閤記銘々伝』という1878(明治11)年の書物にちょっといい感じの画風で森家の方々が登場していたのでお話のネタにご紹介します。この挿絵は浮世絵師の歌川芳春によって描かれました。


書籍データ
タイトル:『太閤記銘々伝』
著者:綱島亀吉
イラスト:朝香楼(歌川)芳春
出版年 1878(明治11)年



まずは、森可成父さん。安定感ハンパないです。
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次は森長可アニキ。モテ男の必須アイテム「敵首」持参中。
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森蘭丸2点セット。
光秀のもとどりをムンずとつかみ、鉄線で顔面を打ちすえ中。
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目つきがちょっと怖いけど、お取り込み中(本能寺の変)だから仕方ないよね。
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そして森坊丸(仿丸になってるけど)。気になる髪型。そしてこれは怒っている人の目だ。
20160710-5.jpg



番外編で坂井久蔵。蘭丸の姉・鴻野さまの元フィアンセ。これは敵の頭に刀をぶっ刺してそのまま首を「ブチッ」と引きちぎっているのでしょうか?
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07/10|森家コメント(0)TOP↑
プロフィール

うきき

Author:うきき
戦国に生きた森一族が大好きです。
いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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