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可児市が『可児市歴史資産シート「国史跡美濃金山城跡」』を作成したそうです。
http://www.city.kani.lg.jp/item/10134.htm

リーフレットは市役所1階のパンフレット設置箇所、可児郷土歴史館、荒川豊蔵資料館、兼山歴史民俗資料館に設置されるほか、PCでも閲覧、ダウンロードできます。

『可児市歴史資産シート』
http://www.city.kani.lg.jp/item/10134.htm

「国史跡美濃金山城跡」リーフレット(PDF)
大人向け (pdf 870KB)
子ども向け(pdf 1181KB)


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05/14|森家コメント(0)TOP↑
平成4年4月1日から9月30日まで行われていた
『森蘭丸のふる里 城下町兼山を歩く』キャンペーンの時のスタンプです。
(下記の史跡解説の文章はスタンプラリーカードからの引用です。)




可成寺スタンプ
金山城二代目城主森長可が父可成の菩提のため創建。可成、可隆、長可、蘭丸、坊丸、力丸の墓が並ぶ森家の菩提寺です。
20140621c.jpg



常照寺スタンプ
金山城初代城主森可成の妻で長可・蘭丸の生母である妙向尼が亡き父の菩提を弔うため建立された寺です。
20140621b.jpg



金山城跡跡スタンプ
古城山初めて築城したのは斎藤道三の養子正義で烏ケ峰城と改称した。その後信長の命により森可成が金山城と改称し、森家三代の居城となりました。
20140621a.jpg




実はスタンプラリーポイントがほかにも
『名鉄兼山駅』
『民俗資料館』
『兼山湊』
『浄音寺』
『貴船神社』
とあったのですが、訪問時は案内人の方と一緒に行動していたのでスタンプを押しにいけませんでした。
(名鉄兼山駅のスタンプは押せたけど薄くて見えないのでアップしていません…)
06/22|お役立ちコメント(0)TOP↑
森家の故郷である兼山(岐阜県可児市兼山)で、本日、蘭丸供養祭が執り行われました。
私は残念ながら参列できませんでしたが、参列した友人が当日の兼山の画像を送ってくれました。

いつもありがとう。

20140608a.jpg

(左上画像):兼山湊と木曽川
(右上画像):可成寺の森可成公墓
(中央画像):森蘭丸・坊丸・力丸墓
(左下画像):可成寺
(右下画像):マスコットキャラクター「らんまる」
06/08|いただきものコメント(0)TOP↑
 
 森可成-長可-忠政の森一族三代の居城である美濃金山城跡(岐阜県可児市兼山)が国史跡として答申されました。
(*゚▽゚*)
これでもっと森家の素晴らしさが人々に注目され、理解されるようになってほしいですね。



国史跡として答申されました『可児市公式サイト』
http://www.city.kani.lg.jp/view.rbz?cd=4687
2013年06月21日
国(文部科学省)の文化審議会は、6月21日に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、美濃金山城跡を国史跡として指定することについて文部科学大臣に答申しました。
この結果、官報告示後に可児市2番目の国史跡に指定されることになります。
現在は、長塚古墳が国史跡です。
 美濃金山城跡は、木曽川の左岸、古城山にある東美濃の中心的山城であり、石垣や礎石、瓦を使用した織豊系城郭の特徴をよくとどめ、慶長6年(1601)の破城の状況とともに、山城の変遷を考えるうえで重要であるとして、国史跡の評価を受けました。




美濃金山城跡、国史跡に 織豊時代の面影残す、文化審答申『岐阜新聞』
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20130622/201306220937_20288.shtml
2013年06月22日09:37

文化審議会の21日の答申で、県内では、木曽川中流域の左岸にある東美濃の中心的な山城「美濃金山城跡(可児市兼山)」が史跡の対象に入った。答申通り告示されれば、県内では24番目、可児市内では長塚古墳(同市中恵土)に次いで2番目の指定となる。

 今回指定を受けるのは、古城山(276メートル)山頂にある城跡やその山麓約30万平方メートル。石垣や瓦を使用した織豊時代の面影を色濃く残し、城割(しろわり)の状況などもよくとどめている点が評価された。

 美濃金山城は1537(天文6)年、美濃国守護代の一族斎藤正義によって「烏峰城(うほうじょう)」として建立されたが、美濃国制圧を目指す織田信長の配下森可成が65年に城主となり「金山城」と改名。関ケ原合戦後の1601(慶長6)年、犬山城主によって破却された。

 明治維新後は御料林となり、1953年に兼山町(現可児市)に払い下げられるまで、人が出入りすることがなく、本丸の礎石や瓦、破却された石垣などが良好な状態で保存されている。

 可児市は2006年から5年間にわたり発掘調査を実施し、歴史的価値の見直しを図ってきた。冨田成輝市長は「400年以上もそのままの姿が残り、戦国時代に思いをはせることができる全国でも貴重な史跡で、市民にとっての誇り」と話している。



文化庁の発表資料『報道発表 史跡等の指定等について』(PDF)
http://www.bunka.go.jp/ima/press_release/pdf/shiseki_shitei_130621.pdf
平成25年6月21日

2 美濃金山城跡(みのかねやまじょうあと)
【岐阜県可児市】
木曽川中流域の左岸,可児市兼山(かねやま)の古城山(こじょうざん)にある戦国期から織豊期にかけて営まれた山城である。美濃国守護代の一族である斎藤氏が築き,烏峰城(うほうじょう)と呼ばれたが,永禄8年(1565)織田信長の家臣森可成(よしなり)が城主となって金山城と名称を改めたとされる。嫡子長可(ながよし),忠政と森氏が35年間にわたって城主をつとめ,織豊政権下の東美濃支配の拠点となった山城で,慶長6年(1601)に破城されたとされる。
山上の最高所(標高276m)に主郭を設け,その東,南,西に続く尾根筋に,曲輪群(くるわぐん)を配置している。北麓部には米蔵(こめぐら)跡と伝承される曲輪が存在する。発掘調査の結果,4棟の礎石建物が検出された主郭をはじめ,各曲輪に川原石を用いた礎石建物が存在することが明らかとなった。出土遺物には土師器(かわらけ),瀬戸美濃産陶器(碗,皿,鉢等),中国製磁器,瓦等があり,最盛期と考えられる16世紀後半には10の曲輪に礎石建物が存在していた。また,主郭には瓦葺の建物が存在していた。美濃金山城跡は江戸時代において留山(とめやま)として後世の改変があまり加わらず,破城の様子をよくとどめている点でも価値が高い。瓦の導入や石垣の構築等織豊系城郭の特徴をよく示し,山城の変遷を考えるうえで重要な遺跡である。
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 兼山の新キャラクター「らんまる」のシールをいただきました。
去年(2012年)の兼山の蘭丸武者行列イベントで配布されていたものです。
この”らんまる”パターンは何種類かあって、具足をつけていないものもあります。
かわいいですね

ちなみに、シールに書かれた「らんまる」のネームについて
『「ら」の字のお魚は何ですか?』
と蘭丸プロジェクツのスタッフさんにお尋ねしたところ

「魚じゃなくて、蓮の葉っぱ。」

とのことでした。
でも、皆、私と同様に「この魚は?」と聞いてこられるそうです。
モチーフになったのは、”らんまる”のかぶっている前立(兜の飾り)の蓮の葉っぱ。

さて、先行き、らんまるグッズもたくさん登場してくるのでしょうか?
楽しみですね♪(^O^)
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戦国に生きた森一族が大好きです。
いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

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