蘭丸君の逸話「まん、まん」 その1 (『木村咄』より) の続き(現代語訳)を書く前に寄り道です。

今回は、前回ご紹介した古文書『木村咄』に載っていた森蘭丸の逸話を自信なくおおくりいたします。
私の力量不足で何と書いているのか判読し難いくずし字が2文字(「」「」)ありましたので、そこは赤文字にしてあります。要注意です。
間違っているかもしれないな、バーローと思いつつお読みください。


《原文》
一、忠時云、或時信長公味方郷人をして敵を謀給ふ事有、郷人敵の様子を語る、蘭丸傍ニて聞之、此郷人敵に被謀反間二なる物成へし、古老の士如何と云、蘭丸云、彼カ常に云所片言交り能物云也、敵地の様子を云処ハなまりの五音ハ一つにして言語の続ハ分明也、是もなき敵に謀を云放る所を其侭説ク物なるへし、是二心付て彼郷人を攻問へハ蘭丸さけすみに毛頭無違、信長公大に被感恩寵猶甚し、惣て蘭丸ハ智恵有て情の色深く近習の手本とも可成、名誉多き美童也




《読み下し文》
一、忠時云(い)ふ、或る時、信長公味方郷人をして敵を謀(はか)り給ふ事あり、郷人敵の様子を語る、蘭丸傍(かたわら)にてこれを聞き、此(この)郷人、敵に謀られて反間(はんかん)になる物なるべし、古老の士如何(いかん)と云ふ、蘭丸云ふ、彼が常に云ふ所片言交り能(よ)き物云(ものいい)なり、敵地の様子を云ふ処はなまりの五音は一つにして言語の続きは分明(ふんみょう)なり、是(これ)設(しつらへ)もなき敵に謀(はかりごと)を云ひ放たる所を其侭(そのまま)説く物なるべし、是に心付けて彼(か)の郷人を攻め問へば蘭丸さげすみに毛頭違い無く、信長公大いに感じられ恩寵猶(なほ)甚(はなはだ)し、惣(そうじ)て蘭丸は智恵有りて情の色深く近習の手本ともなるべし、名誉多き美童なり

《現代語訳》
斎藤忠時が言うには、
ある時、織田信長公は味方の郷人(ここでは敵地の民のこと?)を使って敵を欺きになられる事があった。郷人は敵の様子を語った。蘭丸はかたわらでこれを聞いて
『この郷人は敵に謀られて間者(スパイ)になった者に違いありません。』
と言った。
古老の武士は『どうしてだ。』と言った。
蘭丸が言った。
『あの者が普通のことを言っている部分は訛(なま)りがまじって達者なものいいです。敵地の様子をいう部分になると訛りの調子が一辺倒でありながら言語の続きははっきりとしています。これは準備もなかった敵将から謀(はかりごと)を言い放たれた部分を言われた通りの言葉のまま説明しているに違いありません。』
この言葉に配慮してその郷人を詰問すると、蘭丸の推量に少しも間違いなく、信長公は大いに感心なさって蘭丸への恩寵はなおのことはなはだしいものになった。
総じて蘭丸は智恵があり、情も深く、近習の手本となるものに違いない、名誉多き美童である。


《メモ》
忠時:岡山藩士・斎藤忠時。この『木村咄』の著者の一人。
郷人(きょうじん):同郷の人。故郷の人。村人。
反間(はんかん):間者。間諜(かんちょう)。スパイ。
如何(いかん):なぜ。どうして。
五音(ごいん):声の調子。トーン。
分明(ふんみょう):明らかなこと。
設(しつらへ):用意。準備。(※「」の字は解読ミスかもしれません。でも、他に候補の字が浮かびません。)
:「将」は解読ミスかも…次の候補が「敵役」です。
さげすみ:物事を推し量ること。推察。
原文が「さけすみ」だったので、蘭丸が蔑(さげず)んでいるのか…どんな表情で?と思ったらそうじゃなかった、「さげすみ」でした!!大工が墨のついた糸を垂らして柱なんかの垂直を測る”下墨(さげすみ)”が由来の言葉だそうです。今はほとんど使われていない難しい言葉ですね。)


現代語訳は読みやすいように言葉を補いつつ訳してみました。
何かお気づきの点やご指摘がございましたら(気が小さいのでできれば優しい言い回しで)お知らせください。

蘭丸の知性は本物ですね!!しかもやさしい(まんまん)!!しかも最後にさりげなく美童とか書かれてる!!

なお、似たような話が『森家先代実録』にも掲載されています。
そう何度もある出来事ではなさそうですし、きっと元来は同じ話ですよね。(;´Д`)。
現代語訳ですが、興味のあられる方々は蘭丸の逸話のページの『■人を見抜くチカラ。』の項目をご参照ください。
スポンサーサイト
09/20|逸話の原文(森蘭丸)コメント(0)TOP↑
以前このブログで紹介した問題(森蘭丸の未知の逸話なのに古文書が破損しすぎて何と書いてあるのかわからない悲劇)が解決したのでご報告です。

参考ページ
木々寸物語 ~蘭丸君の世にたえなるお姿より~

この『木々寸物語』の著者ではないかとされるのが、江戸中期の岡山藩士(池田家家臣)・斎藤忠時さんです。
彼の別の著作本である『木村咄』(きむらばなし・宮内庁書陵部所蔵)には、この蘭丸の逸話も掲載されていました。
(※宮内庁書陵部庁舎までおでかけして内容を確認してお知らせくださったT様には本当にお世話になりました。)
そして、『木村咄』のもう一人の著者が木村昌明さん。
この人物は森家のお話満載の『武家聞伝記』の作者でもある森家の家臣です(津山森家~赤穂藩森家時代)。
どういったいきさつでこの『木々寸物語』と『木村咄』の2冊が成立したのかはよくわかりませんが(書いてなかった)、内容からするにこの2人が調査して知った話(本能寺の変から長久手の戦いにいたるまでの詳細)を書き出してまとめたもののようです。
(※なお『木々寸物語』は、『木木寸物語』→『木村物語』というように、タイトルに木村昌明が暗示されているようです。このことに気づいてご教示くださった名探偵T様には本当に、本当にお世話になりました。)

まずは、その新たにわかった森蘭丸の逸話の内容をお伝えします。
なお、句読点は管理人の判断でほどこしました。



《原文》
一、森武州長可濃州金山在城、舎弟蘭丸長定同居、金山のある町人の娘煩出し今を限の時密に云、恥かしけれとも命限なれハ申す、扨も不及事なれとも蘭丸君の世に妙なる御形乍余所見参らせ何となく暁の衾の上、宵の御枕の下床敷たハれたる心にや是又人に語るなと打伏たり折節蘭丸野へ出給ふ道にて聞之、小鷹を据、彼町人の家に入給ひ女の伏所へ入、まんまんと呼給へハ、顔持ち上て息の下よりあつと答ふ、煩早クよくなれ我必す汝をて遣(使)、又頓てとて帰給ふと一同に死入しとそ、此女名をまんと云しとそ、此蘭丸長定ハ森三左衛門可成の次男十五にして信長公に仕へ恩寵他に異也、濃州岩村五万石の城主たり、若手にして勇智あり、本能寺の逆乱に死ヲ先にして名を残す


《読み下し文》
一、森武州長可、濃州金山在城、舎弟蘭丸長定同居。金山のある町人の娘煩(わずらひ)出し今を限りの時密(ひそ)かに云、恥かしけれども命限りなれば申す、扨(さて)も及ばざる事なれども蘭丸君の世に妙なる御形、余所(よそ)ながら見参らせ何となく暁の衾(ふすま)の上、宵の御枕の下ゆかしくたはれたる心にや、是又人に語るなと打ち伏したり折節蘭丸野へ出給ふ道にてこれを聞き、小鷹を据え、彼町人の家に入り給ひ女の伏所へ入り、まんまんと呼び給へば、顔持ち上げて息の下よりあつと答ふ。煩早くよくなれ我必ず汝をて遣(使)、又頓(やが)てとて帰り給ふと一同に死入しとぞ。此(この)女名をまんと云しとぞ。此(この)蘭丸長定は森三左衛門可成の次男十五にして信長公に仕へ恩寵他に異なり、濃州岩村五万石の城主たり、若手にして勇智あり、本能寺の逆乱に死を先にして名を残す。


《メモ》
濃州:美濃国
余所(よそ)ながら:遠く離れていながら
衾:ふすま、よぎ、ねまき。昔スタイルの掛け布団。
床敷:ゆかしく。心ひかれる、慕わしい。
たはる:色恋におぼれる
小鷹を据え:小鷹を拳(こぶし)の上にとまらせる。
伏所(ふしど):寝所。ねどこ。
手遣(てづかい):手はず。手配。(もしかすると別の意味の言葉かも知れません。)
次男:蘭丸さんは次男じゃなく、三男です。(早くに討死した長男・可隆を無視して蘭丸が次男としてカウントされることは古文書においてよくあります。)



現代語訳はまた次回ご紹介します。
実は細かい部分の解釈に悩んで手こずっているのであります(私の力不足です…)。
この逸話の内容を簡単に説明すれば、森蘭丸を遠くから見て恋に落ちてしまった金山の町娘「まん」が死にかけていて、それを聞き知った蘭丸(with 小鷹)がお家まで行って寝室にあがりこんで「まん」を見舞ってあげた話です。

「まん、まん、わずらい早くよくなれ。」

森蘭丸はとても優しい青年です。
08/29|逸話の原文(森蘭丸)コメント(4)TOP↑
博多では7月になると博多祇園山笠というお祭りで盛りあがります。
詳しい内容はこちらの公式サイトをご参照ください。

博多祇園山笠公式サイト
http://www.hakatayamakasa.com/

で、
今年(2017年)の一番山笠・中州流れの飾り山の見送りが
「本能寺の変」でしたので、撮影してきました。

20170703a.jpg

飾り山のてっぺん付近に配されたお人形は正親町天皇でいらっしゃいます。
本能寺で奮戦する織田信長と森蘭丸のお人形さんと、それに対するは斎藤利三と明智惟任日向守光秀だそう。
現地の説明書きを丸写ししました(↓)。


本能寺の変
人形師:中村 信喬
天正十年六月二日(一五八二年六月二十一日)の早朝、京都本能寺に宿泊していた織田信長が、家臣明智光秀により襲撃された事件である。場面は、当時の正親町天皇(おおぎまちてんのう)を最上段に配置して、織田信長が弓を手にして立ち、小姓の森蘭丸が刀を抜き放ち、明智家臣、斎藤利三(さいとうとしみつ)が今正に槍を構え信長を撃たんとする姿を中段に配置して、下段に明智惟任日向守光秀(あけちこれとうひゅうがのかみみつひで)が『敵は本能寺に有り』と言い采配を振っている姿を製作いたしました。



そして織田信長と森蘭丸のお人形さんのアップを撮影してみました。
織田方がこの二人なんていいチョイスですよね~。
蘭丸、小学生のように初々しい!!桃太郎さんみたいだぞ!ガンバレ!
おっしょい!おっしょい!!(山笠のかけ声)


20170703b.jpg

07/03|イベントコメント(0)TOP↑
津山市本源寺さま(岡山県津山市小田中1373)でのイベントを紹介いたします。
20170610b.jpg

20170610a.jpg


津山藩初代藩主・森忠政公の奥方・お岩の初盆に万灯をともしたのは慶長十二年(一六〇七)のこと。
それから忠政公五十回忌までの七十六年間、庶民らの手によって万灯会は続けられました。
昨年、奇しくも三百三十三年ぶりに美作国万灯会は見事に復活を遂げました。
そして今年もまた、七十八回目の万灯がともされます。


第七十八回 美作国万灯会
・日時:2017年7月1日(土)18:00-20:30 (※雨天順延)
・会場:本源寺
・拝観料:無料
・献灯料:500円(※中学生以上)
・無料演奏会、および出店あり

本源寺 特別拝観
・日時:2017年7月2日(日)-7日(金) 10:00-16:00
(最終日7日は午後のみ)
※期間中は、お抹茶とお菓子を用意しております

初代津山藩主 森忠政公 毎歳忌法要
・日時:2017年7月7日(金)10:00-
・会場:本源寺本堂
法要後、特別講演を開催いたします(無料)
・講師/津山郷土博物館 小島徹さん
・演題/『津山藩主 森家の終焉』
※どなたでもお参りできます。
森忠政公の守り本尊・千手観音像(高さ5寸5分)を特別に御開帳いたします



津山市サイト内にもこのイベント紹介がありますので、URLをはっておきます。
第78回 美作国万灯会(みまさかのくにまんとうえ)
http://www.tsuyamakan.jp/event/detail/?pk=111

また、同じ期間に鶴山公園(津山城跡)でも夜間特別イベントが開催されるそうです(2017年7月2日-7月7日)。
夢輝く津山城~イルミネーションで甦る津山城~
http://www.tsuyamakan.jp/event/detail/?pk=114
06/10|イベントコメント(0)TOP↑
国立国会図書館のデジタルコレクションで 『本朝鍛冶考』を閲覧することができます。
この中には森長可の愛鑓 『人間無骨』、および森蘭丸が織田信長公より拝領の刀剣『貞宗作の刀』のことも書いてあります。

書名:『本朝鍛冶考 』(ホンチョウ カジコウ) 鎌田魚妙 撰.
出版:近江屋平助 ; 河内屋徳兵衛, 嘉永4 [1851]
形態/付属資料 12冊 ; 25cm. 和装.


なお、このページでご紹介する画像はすべて国立国会図書館ウェブサイトから転載したものです。



森長可の愛鑓『人間無骨』

まずは、
「ぼくも、わたしも、みんな、あなたに切られたかった(or 刺されたかった)_______。」
で、おなじみの森長可公の愛鑓『人間無骨』です。
サイズや穂先の詳細が書かれています。図は表面で「人間」と彫られていて、裏面には同じ箇所に「無骨」と彫られているとのこと。

以前、私が北九州市立図書館でコピーしてきたこの図を某資料館の館長さんにお見せしたところ、この図を参考に発砲スチロールでまったく同サイズの穂先を作成なさいました。そしてそのしあげとして発泡スチロール人間無骨にシルバーのカラースプレーをかけたところ、「溶けた。」とのことでした。
さすが人間無骨!なんと、まぁ恐ろしきことよ!はっはっはっ!
(あ、その後また新たに作り直しされたそうです。)
20170507a.jpg
『本朝鍛冶考 戌亥』人間無骨 画像引用元URL(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563727/29




森蘭丸が織田信長より拝領の相州貞宗作の刀
 お次は貞宗作の刀です。
『本朝鍛冶考』には刀剣の図と解説とが2ページにわたって掲載されています。
1ページめ
↓貞宗作の刀とは、2番目と3番目のイラストの『相州貞宗作 長如図』)のことです。
刀が上下半分に分かれて表示されているので脳内で
『シャキーン!カシーン!合体!』
と結合させてご鑑賞ください。
ところで『相州貞宗作 長如図』の「長如」って何なのでしょうか?刀の銘でしょうか?これまで誰もここに触れてくれてないのでわかりません。
20170507b.jpg
『本朝鍛冶考 戌亥』貞宗 画像引用元URL http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563727/35

なお、1番右のイラストの刀は”志津三郎兼氏”作の刀で、解説によればこの刀も森家に伝わる重器で、しかも蘭丸の貞宗作の刀とは対になる存在だそうです。また、貞宗の刀の制作の模範となった刀でもあるそうです。
…と、解釈したのですが、合っているでしょうか。(私の解釈ミスで嘘ついているかもしれません。)


2ページめ
このページの始まりの最初の2行がさきほどの『相州貞宗作 長如図』に対する解説で、それ以降の図や文章はまったく別の刀剣について書かれています。
20170507c.jpg
『本朝鍛冶考 戌亥』貞宗 画像引用元URL http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563727/36

さきほど、志津三郎兼氏の刀についても生意気に解説してしまったついでにこの最初の2行の内容をわかりやすく書きなおしますと
『この貞宗は永禄頃、平(織田)信長公森蘭丸へたまふ所にてその後代々かの家(森家)に伝えられ、右の志津刀に対せり、実(は)この作の模範なり。』
とのことです。

05/06|森家コメント(1)TOP↑
プロフィール

うきき

Author:うきき
戦国に生きた森一族が大好きです。
いつか戦国武将・森長可の騎馬像を鋳造するのが夢です。

カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
タグ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR